| 日本軍小失敗の研究 ※ 現代に生かせる太平洋戦争の研究 153頁 |
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| 三野正洋 光人社NF文庫 2000年2月15日発行 | ||||||||||||
| 航空機と牛車 呆れ果てる非能率、日本人の限界? 太平洋戦争の勝敗を決した最大の鍵は航空機であった。 それは海上戦闘の行方に大きな影響を及ぼし、その後、日本の国土を灰に変えるほどの力を発揮した。 また、ヨーロッパにおけるドイツの敗北も、連合軍の爆撃によるところが大である。 大戦中に主要交戦国は航空機を、
そして、この数の差は、燃料生産量の差とともに最終的な勝敗として表われた。 しかし日本の場合、航空機の生産数に技術、資材の量とはまったく別な障害が存在し、この結果、前線に送られる数、時間的遅れがマイナスとなつた。 その実態はまったく驚くべきものであり、この事実の前には日本の航空技術がもっていたわずかな優越性など吹き飛んでしまうのである。 国内の大規模航空機製造工場は、
これ以外に九州(九州飛行機)から満州(満州航空機 中国東北部)まで、18ヵ所の航空機組立工場が存在したが、規模としては前記四ヵ所には及ばない。 ところで大戦勃発時、名古屋、太田、姫路の各工場は、なんと隣接する飛行場を持っていなかったのである。 この事実こそ、日本軍の最大の弱点であった。 航空機工場に飛行場がないということは、内陸部に大型船の造船所を建設するのとまったく同様である。 完成した航空機は、試験飛行さえできないのである。 それではどうするかというと、いったん分解し、あるいはバラバラの状能似で遠く離れた飛行場まで陸路を運ばれる。 そこで再組立のうえ、ようやく進空(初フライト)に挑むのであった。 戦争がはじまってからも、この行程はなんら変わらず、
そして、またまた術撃的な事実として、その運搬手段の中心となったものは“牛車”であった(!!)。牛車とは、本当に牛が曳く車のことである。 生まれたばかりの、技術の粋を集めた航空機が、分解されて牛車に載せられる。 牛に引かれた荷車が、時速2、3キロでノロノロと数十キロの道のりを飛行場へ向かうのである。その道も晴天ならほこりが舞い上がり、雨なら泥に変わる非舗装路であった。 これが日本陸海軍の航空部隊を支える裏方の姿であることを、国民はまったく知らなかった。 トラックや馬車を使わなかった理由は、牛が大人しい動物であり、歩む速度が遅いため機体に振動をあたえないという理由による。 たしかに舗装されていない道路でトラックを使えば繊細な工作物である積荷の航空機が壊れる恐れがあった。だから牛車を使うという発想は、あまりに日本人的で悲しい気持にさせられる。 だったら道路を整備すればよい、いやそれより早急に工場の隣接地に滑走路を建設すればよい、という意見はまったく出なかったのであろうか。 与えられた状況の中で、黙々とと任務、仕事を遂行することが美徳と考えられた時世であっても、これは異常以外のなにものでもない。 この製作所から飛行場への輸送の苦労は、それだけで一冊の分厚い本になるほどであった。 また従事する人々は、寝食を忘れてその作業に没頭した。その努力を認めないわけではないが、反面あまりの馬鹿馬鹿しさに情けなくなるほどである。 とくに人口密集地の名古屋工場で大型機が完成したときには、悲喜劇が生まれる。 胴体、主翼は別々に牛車に積み込まれるが、かなり多くの部分に分解しても、町の狭い通りを抜けられないのである。 そのため町角の電柱を移し、看板を取りはずしてもらい、ようやく這うような速度で運び出すのである。 前方から荷車や自動車がやってきたら、すれ違えないので立ち往生する。軍需物資を積んでいるから、と先方に頼み込んでいったん下がってもらい、ようやく通過するのであった。 また、一機の航空機の運搬には、零戦のような単発戦闘機なら三台、中攻(中型攻撃機)のような双発の爆撃機なら13台の牛車が必要であった。 運河を使った平底船による輸送も行なわれたが、いずれも単発機であろうと、いったん分解しなければ積み込めない。 中島太田、川西姫路製作所には、のちになって飛行場が設けられたが、最大の三菱、愛知名古屋は、最後まで牛車(のちに馬車も)による輸送に頼っていた。 零戦の再来と期待された三菱の新戦闘機“烈風”(17試艦上戦闘機)が、たとえ量産にいたったところで、相変わらず工場と飛行場の間は、平安の時代からまったく変わることのない牛車の世話になったに違いない。 そのうえ昭和19年以降、飼料不足から全国的に牛の数が減少しはじめた。 このため輸送に支障がでて、三菱名古屋の担当者は大金を払って強引に牛の買い付けに乗り出した(!!)。 すると、これが物資統制令達反ということになり、三菱は地方裁判所に起訴される。 牛が入手できなければ航空機は前線に送り出せない。しかし強引に購入すれば、法律に触れる。 この矛盾は、正式に裁判で争われることになり、八ヵ月続いた。これが激しい戦争のまっ只中の出来事なのである(!!)。 この裁判の結果については、読者の判断におまかせしたい。 国家への協力を優先すべきか、それとも法律を順守すべきか、“平時”の知的遊戯としては興味を引く話愚かも知れないが、現実には日本の命運がかかっているのである。 なんとも不可解なのは、昭和のはじめに航空機製造工場を建設するとき、誰ひとり隣りに飛行場が必要なことに気づカなかったのか、という点である。 製造会社の社長、重役、技術者、軍の関係者は、小学生でも簡単に思いつくはずの事実に、まったく目をを向けようとしなかった。 それとも気づいてはいたが、なんの手も打たなかったのか。当然、提案すべきことを、口に出すのを躊躇したのか。 現在出版されている日本の航空史、それも学会(日本航空宇宙学会)が出版した大冊さえも、この経過に関しては何も語っていない。 |
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| (※牛車による運搬については、柳田邦男 『零線燃ゆ』にあり) |
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| 日本軍の小失敗の研究 光野正洋 | |||
| 光文社文庫 2000年2月15日発行 | |||
| 目 次 |
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| 第一部 | 第二部 | ||
| (1) | 日本陸軍の無謀 | (1) | 恐ろしいほどの思い上がりと無駄 |
| (2) | 補給について | /陸軍が作った潜水艦と航空母艦 | |
| (3) | 統一化、標準化の失敗 | (2) | 潜水艦をめぐる問題 |
| (4) | 用兵者の無能 | (3) | 航空機と丑車 |
| (5) | 差をつけたがる日本軍 | (4) | 戦病死と破傷風のワクチン |
| (6) | 硬直した頭脳 | (5) | 機械力と土木工事部隊 |
| (7) | 人命の救助の損得 | (6) | 拙速による戦闘機隊の期待の悲劇 |
| (8) | 民間人と女性の活用 | (7) | 「マニュアルと取り扱い説明書」 |
| (9) | 名人の養成と新技術 | (8) | 銃砲の悲哀 |
| (10) | 情報の収集と分析について | (9) | 航空用エンジンをめぐる無駄使い |
| (10) | スキップ・ボミング | ||
| 第三部 | (11) | 航空母艦をめぐる問題 | |
| 日本軍の優れていた部分 | (12) | ダメージコントロールの思想 | |
| 一、日本海軍の場合 | (13) | 暗号解読技術 | |
| 二、日本陸軍の場合 | (14) | 歩兵銃の実態と自動小銃の開発 | |
| あとがき | (15) | 無線通信をめぐる三つのエピソード | |
| 文庫版のあとがき | (16) | アメリカの自由 | |
| 続・日本軍の小失敗の研究 光野正洋 光文社文庫 2000年2月15日発行 |
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| 第一章 無駄な戦い | |||
| 最初に経験した近代消耗戦 | |||
| まったく無駄な戦い | |||
| 歩兵の悲哀 | |||
| 歩兵操典とバンザイ突撃 | |||
| 兵士の死亡原因と防弾チョッキ | |||
| 第二章 形となって現れない戦力 | |||
| 気づかなかった連絡将校の存在 | |||
| 捕虜になることの是非 | |||
| アジア諸国の独立運動 | |||
| 軍人と冒険心 | |||
| 真実を告げる勇気の欠如 | |||
| 言葉の遊びに頼り、 | |||
| それに酔い痴れる軍隊 | |||
| 第一部 | ||||
| (1) 国力を超えた戦線の拡大 |
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| 死傷者 | ||||
| ○ | 日中戦争 | 昭和12年 7月から | 国府軍/共産軍 | 41,000 |
| ○ | ソ連との国境紛争 | 昭和13年 7月 | ソ連/モンゴル軍 | 53,000 |
| ○ | ノモンハン事件 | 昭和14年 5月 | ソ連/モンゴル軍 | 131,000 |
| ○ | 仏印進駐 | 昭和15年 9月 | フランス軍/ベトナム軍 | 82,000 |
| ● | 昭和16年10月まで | 56,000 | ||
| 5年間 合計 | 363,000 | |||
| 日中戦争 | ||||
| 中国本土 | ||||
| 960万ku すべて占領と仮定して | ||||
| そして日本軍100万人派遣したとして | ||||
| 10ku(3km×2)に一人! | ||||
| アメリカの戦死者 |
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死傷者 | ||
| 第二次大戦 | 1941〜1945 | 日本/ドイツ/イタリア | 153,000 | |
| 朝鮮戦争 | 1950〜1953 | 北朝鮮/ソ連/中共 | 214,000 | |
| ベトナム戦争 | 1961〜1973 | ベトコン | 208,000 | |
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| (2) | 補給について |
| “輜重、輸卒が兵隊ならば、喋喋、蜻蛉も鳥のうち” “輜重、輸卒が兵隊ならば、電信柱に花が咲く” |
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日清戦争(1984〜1895) 平壌攻防戦(2日分の食料のみで占領)の成功 現地調達 反日感情増幅 ・・・ しかしその後もこれを続ける 戦傷者4530名 戦病者67600名 戦死者の15倍! その典型的な戦場 インパール 陸上自衛隊 保有トラックの老朽化と数不足 ・・・ 現代も続く輸送の軽視 |
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| (5) 差をつけたがる日本軍 |
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| 長門級戦艦 (39,000トン/平時の乗組員数1,400名)の大便器数23個 | |||
| 士官用(70名) | 11個 | 1個/士官6.4人 | |
| 下士官・兵(1330名) | 12個 | 1個/下士官以下111人 | |
| 1個/61人 | |||
| サウスダコタ級 (米戦艦 35,000トン 乗組員1,800名)便器数50個 | |||
| 1個/36人 | |||