南太平洋海戦(1942/10/26)における瑞鶴艦爆隊
     米田中尉の奮戦
 『空母瑞鶴の生涯』 豊田穣著 より抜粋 
                            平成15年米田中尉のご長男と偶然の出会いを記念して作成
                                   は編者挿入)
昭和17年6月のミッドウェー海戦後の8月、米海兵隊のガダルカナル上陸に端を発したガダルカナル奪回作戦は膨大な航空消耗戦となった。その一環として行われた南太平洋海戦は、日本海軍の最後の戦術的勝利であったが、この海戦により、真珠湾以来の多くの熟練パイロットを失い、その後更なる苦戦を強いられることになる・・・米田中尉は著者・豊田穣氏の海軍兵学校同期生。氏の著作には海軍兵学校同期生(昭和15年卒 68期)が活き活きと書かれている。

著者:豊田 穣氏は海軍兵学校68期 昭和15年卒 昭和17年、ミッドウェー海戦後、空母瑞鶴の急降下爆撃機操縦員となり、ガダルカナル作戦に参加したが、撃墜され、漂流後、米軍の捕虜となった。氏の戦記小説は激戦地にあった若手士官パイロットの実体験がもとになっているものが多い。


   
        『空母瑞鶴の生涯』 豊田穣 1982年8月20日 第1刷 集英社


・・・・・・
この頃瑞鶴の士官室では、搭乗員の士官たちが話し合っていた。
「隊長、明日は一つ早目に敵を発見して一発ドカンとお見舞いしたいものですな」
高橋大尉にそう話しかけたのは、ガンルームからやって来た爆偵の米田中尉である。鹿児島出身で色が浅黒く、運動神経がすぐれていた。
「うむ、明日こそは訓練の成果を発揮させてもらいたいものだな」
高橋大尉は微笑しながらそう答えた。

明日敵空母が発見されれば艦爆は二十一機が殺到する予定であった。
別のソファでは石丸豊大尉津田俊夫大尉と、打ち合わせなしていた。
津田は石丸より三期先輩で、海兵時代は一号と四号の問であった。
明日の攻撃では、高橋が艦爆隊長兼第一中隊長で、米田はその二小隊長、津田は第二中隊長、石丸は第三中隊長であった。
となりのソファでは今宿滋一郎大尉(64期)と檮原正幸大尉(66期)が語り合っていた。
明日の雷撃隊は九七艦攻一六磯であるが、九七艦攻は九九艦爆よりも速力が少し遅い上に、海面を這ってゆくので、敵戦闘機による被害が大きいとみられていた。今宿も檮原も生還は期していなかった。

米田がガンルームに戻ると、
「おう、米田、夜食の汁粉が残っているぞ」
同期生の烏田陽三が声をかけた。爆偵の烏田はカラスという仇名をもらっていたが、少々頬骨がとがつていた。広島出身で諷々としたところがあった。
「なんだ、汁紛か」
米田は顔をしかめた。少年時代からイモ焼酎で鍛えた彼は、辛党であった。吉村は土佐の生れなのに色が白く、運動神経のよい戦闘機乗りであった。

八キロ西方の「翔鶴」の士官室では関少佐村田重治少佐が語り合っていた。二人は五八期の同期生で、府立五中出身の関は淡白な人柄で、島原中学出身の村田は、ブーツの仇名で知られる口も八丁手も八丁で、誰からも親しまれる人柄であった。
「明日こそは、このブーツさんも一発撃たせてもらいたいもんだな。インド洋以降はいつも待機ばかりで、魚雷が錆びついてしまうがな」
まったく、彼はほついていなかった。ミッドウェーではほ雷爆転換の途中で赤城に爆弾が命中して火の中を逃げ回る。第二次ソロモン海戦では艦攻隊は待機でおしまいであった。
明日は村田は第一次攻撃隊長なので、久方ぶりに雷撃が出来ると考えて、彼は張り切っていた。
「ハルゼーの奴がエンタープライズに乗っていてくれると有難いんだがな。おれの魚雷がエンタープライズのどてっ腹に命中サると艦橋にいたハルゼーがとび上がる。ふと見るとそこにブーツ(飛行靴)がおいてあって、海軍記念日お芽出度う、日本のブーツより、という札がついていた、というのはどうかね」
村田はいつもの手でジョークなとばした。
関はかたわらで微笑していた。彼は最近妻から長男が生まれたという便りを受けとったばかりであった。
士官室にほもう一組の同期生がいた。六五期の艦爆乗り鷲見五郎山田昌平である。鷲見は謹厳な人柄である。山田は冒頭に書いた通り、瑞鶴で私たちの着艦を指導してくれた人である。山田は大男で彼の鉄拳は頬にくいこむといって、六八期の四号生徒に恐れられた。・・・・・




主翼の下のバーは急行下時の過速をおさえるエアーブレーキ


空母『蒼龍』搭載(胴体の青線)の99艦爆11型 (瑞鶴搭載機は白線2本) 

真珠湾攻撃時の『瑞鶴』(胴体の白線2本)坂本隊長搭乗の99艦爆 垂直尾翼の3本横線は隊長機


・・・・出血の為か頭がぼおっつとして来た(高橋定大尉)。
 ──まだ死にたくはない。まだホーネットにタマを当てていないのだ・・・・・第二次ソロモン海戦の時も敵を発見しそこなっている。一発当ててから、それからなら死んでも悔いはない・・・・高橋がそう考えて操縦席でもがいている問に高度は一〇〇〇メートルを割っていた。青い海面が追ってくる。
 ──やはりこれが最後か。
彼は突然一つの衝動に襲われた。
飛行服も、救命胴衣の胸にさしこんである拳銃も、落下傘のバンドも、一切をかなぐり捨てて、座席の上に立ち上がり、双手を天に差し上げて、大声で絶叫したいと彼は願った。ジャングルの肉食獣のように彼は咆哮したかったのだ。
 ──おれはタカハシだ。まだ空母を沈めていない。なのに、おれは死んでゆく。
無念だ。誰か聞いてくれ・・・・・
彼の絶叫は胸の内にとどまった。機は左に横滑りを続け、海面はその下五〇〇メートルに迫っていた。

この日、高橋小隊の二番機は偵察員の藤岡寅夫二飛曹がグラマンの一三ミリによって機上戦死したが、操縦員の鈴木敏夫一飛曹はよくグラマンの急襲を切り抜けてホーネットに投弾し、母艦に帰った。三番機(操縦・山中降三飛曹、偵察・重近勇二飛曹)も同様である。
二小隊長機の後席には米田中尉が乗っていた。操縦員は昭和十二年以来、高橋大尉とシナ戦線で転戦して来たベテランの畠山尚一飛曹である。艦爆野郎にしては目元の涼やかな男で、人柄もソフトである。内地をたつ前に結婚したばかりであった。
米田機は高橋の左方三つ目の位置で突撃態勢に入ろうとしたとき、やはりグラマンにとりつかれた。横滑りで回避していたとき、彼は隊長機が白煙をはいたのを認めた。

 ──やられたか、隊長が…
彼は唇を噛みながらそう呟いたが、彼の方も余裕はなかった。七・七ミリでグラマンのエンジンを狙って射撃を続けていると、左の方で、また白煙があがった。
「二番機被弾!」
そう畠山に知らせながら、横目で見ていると、二番機(西森俊雄二飛曹三宅保一飛)は火焔に包まれて落ちて行った。
 ──二番機が、やられたか…
このとき、彼は左方に一団となって降下してゆく艦爆を認めた。津田大尉の二中隊である。右先頭が津田大尉らしい。背を丸めるようにして突っこんでゆく。
 その左方にあった一機が突然急上昇したかと思うと、彼の機に近づいて来た。宙返り気味に反転しながら近づいて来る。
 ──危い・・・・
みると、胴体に白筋一本を巻いている。二中隊二小隊の烏田陽三中尉の機である。前席の高朝太郎一飛曹がぐつたりしているところを見ると、弾丸は操縦員にあたったらしい。後席の烏田がこちらを見ていた。じっとみつめていた。こちらを認めているらしい。これが別れだというように…。
烏田の機は反転の途中から翼をひるがえし、錐揉み気味に落ちて行った。
このとき、高橋中隊三小隊長の佐藤茂行飛曹長の機は偵察・安田幸次郎一飛曹)も火をふいて自爆、二番機は偵察員前野広二飛曹、操縦員大川豊信一飛と第二次ソロモン九機のうち唯一機の生き残りのペアであったが、このときの空中戦で、前野兵曹が機上戦死をとげ、大川一飛のみが生き残った。

米田の機はうまく前方に断雲をみつけたので、これにとびこんでグラマンをまくことが出来た。断雲から青空の下に出てみると、前下方に黄色いワラジのようなホーネットが、北西に走っている。高度三〇〇〇、おあつらえむきの降下地点である。
「おい畠山、みたか、急げ!」
「了解!」
畠山は機首をぐいと下げ降下六〇度で急降下に入る。右前方に一機が見える。一小隊三番機であろうか。
ホーネットをとり巻く重巡や駆逐艦は、断雲の間から降って来た艦爆一隊を認めて一斉に砲門を開いた。赤や音の曳痕弾が一斉にこちらに向って来る。
操縦の畠山がみていると、全部がこちらに向って来るように見えるが、その全部が機首の前方で分れて翼の後方に去って行く。

「高度、三〇〇〇、二〇〇〇・・・・・」
後席の米田は高度を読みながら、時々後方にグラマンがついて来ないかと見張る。
左正横に白線二本を巻いた機が現れた。津田大尉の機である。
「高度一五〇〇!」
このへんが一番危い。
各艦の機銃がこのあたりに弾幕を張っている。高角砲もこの高度になると命中率がよくなる。アイスキャンデーのほかに茶色の煙がそこここにぽかりばかりと浮かび、数を増して来る。水底で鈍魚(どんこ)が姿をくらますときにつくる砂けむりに似ているが、この中に入ってはいけない。一二・七ミリの高角砲弾が炸裂した煙であるから、近くには弾片が浮いている。どの一つを喰っても九九式艦爆は大破に間違いない。
早くも機は機銃弾の弾幕の中に突入している。ガン、ガン、ガン・・・・音と共に機が振動する。被弾が激しい。幸いに火はふいていないようだ。
「一〇〇〇、八〇〇、六〇〇・・・・・」
津田大尉機の向うに二機、三機と降下する機が現れた。石丸大尉の第三中隊であろうか。米田の見たところ、一中隊で投弾に参加出来たのは一小隊三番機と三小隊三番機だけのようである。高橋隊長機はどうしたのであろうか。
いつの問にか、一、二、三中隊の一〇機近くが横一文字に並んで扇形同時攻撃を行う形となった。

「高度四五〇、用意、打て!」
で、畠山がレバーを引いて投弾、ぐいとスティックを引く。六G(地球の重力の六倍)がかかって、米田の頭が膝の間にのめりこみそうになる。
「おい、落としたら、南へ行け!」


     
急降下爆撃は高度3000m辺りから60度ほどの角度で急降下して、日本海軍の場合は高度450〜400メートルで爆弾投下、そして急激に機首を引き上げ避退する。左写真の機体の下の黒いものが250kg爆弾(この角度が急降下の角度)。

左写真 機体はすでに引き起しをはじめている。引き起こしても機体の自重で沈むので、400メートルを切ると危険。
上はホーネットに投弾後、猛烈な対空砲火の中、機体を引き起こし避退する99艦爆。猛烈な引き起しで、翼端からウェーキを引いている。


彼は伝声管でそう畠山に命令した。この様子では北の方ヘストレートに帰投のコースをとると、グラマンの送り狼が待っていると判断したからだ。
体に力をこめて頭をもたげ、機の左下方を見ると、機は高度一〇〇メートルでホーネットの真上を飛びこえたところである。そのまま海面すれすれの低空飛行に入る。以前は高度三〇〇〇まで上昇して集合帰投したものであるが、そうすると輪型陣外側の駆逐艦に乱射されるし、又もやグラマンにとりつかれるおそれがある。

米田は左後方のホーネットを凝視していた。すでに一カ所からは白煙が上がっている。空母の舷側に水柱が一つ立ち上がる。自分のにしては少し早いようだ。カッと飛行甲板の中部に赤い火花が散る。これも早い。今一つ水柱が上がってホーネットの左舷後部リフトの近くにカッと赤い火花が散って白煙があがった。
 ─これだ、間違いない。
「命中、左舷後部!」
米田の知らせを聞くと、
「やった!」
畠山は前席で躍りあがった。

このとき、米田はホーネットの北方から低空でしのびよる数機の雷撃機を認めた。村田少佐の雷撃隊である。こちらもグラマンにとりつかれて、すでに数機は火をふいて脱落している。
先頭の白線二本を巻いた隊長機も白煙をはいていたが、すでに魚雷は発射したらしく、そのまま直進すると、ホーネットの艦首に激突して、赤い火花と黒煙をあげた。
 ─隊長が……体当りしてしまった……
米田は感動と落胆に包まれながら偵察席で航法板を握りしめていた。
突如、ホーネットの左舷側に高さ三〇メートル位の水柱が高々とあがった。
 ─魚雷命中だ、村田隊長のに違いない。
米田はそう考えた。
村田が激突したあたりからほまだ白煙があがっていた。それがブーツ隊長を葬う香煙のように米田には思われた。
なおも低空で南方に避退する米田は、さらにもう一発の魚雷命中による水柱と、二五〇キロ爆弾が命由した火花を認めた。
この日瑞鶴隊は二五〇キロ六発以上の命中を報告、翔鶴隊は魚雷二本以上の命中を報告した。


グラマンの邀撃を受け、傷つき煙を引く機を必死に操って飛ぶ『祥鶴』艦攻隊飛行隊長村田少佐搭乗の97艦攻(垂直尾翼に隊長機を示す横2本線が見える)。
スピードの落ちた機の傷ついた操縦員、村田隊長は風防越しに列機に手を振り、先に行けと合図したという。この十数秒後に、ホーネットに体当たり、自爆したのであろう。胸の詰まる思いのするカットである(
驚くべき記録的カットである「学研 1/100スケール 『空母瑞鶴』」)。
村田少佐は雷撃の神様といわれ、水深の浅い真珠湾雷撃を成功させた名パイロットであった。



真珠湾攻撃時の赤城飛行隊長淵田中佐機だが、南太平洋海戦時の村田隊長機も同様の白線があった 






米側の質料によると、ホーネットは午前六時四十分瑞鳳零戦隊と交戦したエンタープライズの攻撃隊から日本機の大群が向っているという情報をうけとり、上空直衛機を三八機にふやして警戒に当っていた。
しかし、その配備は味方の外方一〇マイル、高度二二〇〇〇フィート(七二〇〇メートル)となっていたので、あまりにも近すぎた。艦爆隊を発見したときすでに彼らは突撃隊形を作りつつあった。この為、突撃時の損害は一中隊のほかは割に少く、二、三中隊の多くは避退時、戦闘機によるものである。上空で艦爆隊を逸したグラマンの多くは、同行して降下し、ホーネットの北方で待ち伏せして襲撃をかけたもので、米田の推測は当っていた。
このとき、エンタープライズは東方のスコールの中にあって難を免れた。

七時十分急降下爆撃が始まったとき、ホーネットとその直衛艦は空がくらくなるまで対空砲火をうち上げたが、被害を軽減することは出来なかった。
一発目の二五〇キロは飛行甲板後部右舷に命中、続いて二発の至近弾が船体に被害を与えた。ホーネットの記録では白線二本を巻いた日本の隊長機が燃えながら煙突に突入、これをかすめて飛行甲板に激突炎上したとき二五〇キロ二発が爆発したと述べている。

しかし、第一次攻撃では三人の隊長のうち誰も体当りはしていないから、これは小隊長の誰かの機かあるいは第二次攻撃で体当りを行った関少佐の機と順序が入れ違ったものではないかと思われる。この日瑞鶴艦爆は高橋隊長機を入れて一三機が未帰還になっているから、この体当り機を目認した機も海中に消えたのであろう。(関少佐の体当りは、空母に爆弾を当てた後直衛の駆逐艦に突入したものといわれている)
また、隊長機が飛行甲板に激突したとき二発が爆発したとなっているが、携行弾数は一発であるから、ほぼ同時に他の一発が炸裂したものであろう。



猛烈な対空砲火の弾幕のなか、超低空の雷撃体制で肉薄する97艦攻。 左の機は魚雷投下直後(下の飛沫は投下された魚雷のもの)。 右の機は魚雷を抱き、雷撃体勢である。間もなく魚雷は投下されるだろう。



結局、ホーネットでは一、二中隊の攻撃で命中弾三発、至近弾二発を認め、三中隊の攻撃では一発が飛行甲板で爆発、一発は下甲板まで貫通して爆発、他の一発は甲板四層を貫き前部兵員室で爆発し、計六発の命中を認めている。三中隊は相当の戦果をあげたと思われるが、中隊長石丸大尉の機のほか七機全機が末帰還戦死となっているので日本側からは戦果の確認が困難である。
艦爆より少し遅れて行われた翔鶴艦攻隊の雷撃は、まず一本の魚雷が右舷機関室の近くに命由し、この為ホーネットは大火災を生じ、右舷に傾斜し、全動力と通信機能を失った。
・・・・・・



瑞鶴艦爆隊 2列目中央 高橋定隊長 その左ひとりおいて米田中尉(左より三人目)