BEETLE 礼賛

車自分史.(2005/1)  2007/11更新 


1965年 東京VW CLUB

ドイツ博物館絵葉書より

小生にとってVWカブトムシは単なる車ではなかった。・・・・

普通免許を取ったのは昭和35年。
小学校時代の少年年鑑にはアメリカの自動車普及率は4人に一台だったから、わが国についてはお話にならない数だったはずだったが、戦後15、6年経った昭和30年代半ばのこの頃になると、かつては夢のような話・「自家用車」を持つ家もぼちぼち出始め、昭和37年ごろ我が家でもはじめて自家用車を買った。日野ルノーの中古である。
どういうわけか小さな車が好きで、ルノーは1000cc程度の排気量でギアは3速だったが、シンクロもよく効いてスムースなギアチェンジができる。最高速度は100q程度だったが、加速が良かった。
book


new
VWとの接点は実物よりも、本からだった。
乗ったこともない小生をVW信者にさせた本が2冊ある。
          (VWにもいろいろ車種があるが、小生にとってVWといえばカブトムシのこと)

  @新書版 「フォルクスワーゲン世界を制す」 (行方不明) 著者 田口?失念 
                                      1961年9月30日発行 叶V潮社

@はヒトラーが国内統治の手段として、全ドイツ国民に車を持たせ、その車は空前のインフレと失業解消のための公共投資・アウトバーンを親子5人乗りで100qで連続走行が出来るもの(ナチは歓喜力行団などにより、ドイツ国民のリクリエーションまで管理した)、というものであったが、その設計要求に見事に応えたのがポルシェ博士であったといところからはじまる。

その後の開発、厳しい徹底的な試験走行、そして量産・・・戦後の復興、対米輸出の成功とその後の輸出量の爆発的増加のキーとなった部品の完璧な供給体勢・・・・等々で、何度も読み返し、VWへの想いをますます膨らませた本だった。

ドイツ敗戦後、ポルシェ博士はその名声からフランスに設計を依頼されたが、無理やりの依頼から、本気になれないなかで設計したのが日野ルノーの原型のルノーだったという記述もあった。

  A「フォルクスワーゲンの広告」 著者 西尾忠?失念 (行方不明)
                vw
AはVWがアメリカの写真雑誌「ライフ」に連続掲載した広告を一冊にまとめた本で、これはヴィジュアルにインパクトを与えると同時に、著者がアメリカにおける自動車のイメージを根本から覆させた広告と評し、アメリカ人に自動車というもの・VWの思想を繰り返しすり込み、その後のアメリカにおけるセカンドカー(VWはセカンドカーの立場には満足していないようだったが・・)としての不動の名声の獲得と、輸出量の増加を見事に果たした画期的な広告であることを熱く語っている。

VWのライフの広告は1ページを使用し、その紙面の約75%は写真。その下にメインコピーがあり、その下にサブコピーがつく。
従来のアメリカ自動車業界の広告の写真は、車だけでなく必ずといっていいほど車のステイタスをかもし出すための脇役・パーティー会場に乗り付けるタキシードと盛装のカップル、幸せそうなファミリー・・・しかしVWの広告は車だけで、付属物は全くない。
アメリカにおける車というものの概念を変えてしまった傑作広告であった。行方不明になった「フォルクスワーゲンの広告」がなつかしい・・・・・
メインコピーサブコピーともにうら覚えの大意)

写真を乗せる枠に写真がない
メインコピー
新型もとくにお見せするところはありません。形は今年も昨年と同じです
サブコピー
見えないところでは1000箇所以上の改良点があります。しかし外見は同じ云々・・・・

大きな画面に小さなVWの写真
大部分は余白      
メインコピー
小さいことはいいことです・・・
サブコピー
当時アメリカの「車は大きいことこそいいこと」という常識を覆した広告






  
 PHOTO




 メインコピー
 サブコピー
   
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
.2

画面いっぱいにデコボコのVW
メインコピー
見かけはひどいですが、これでも安全に走れます・・・
サブコピー
これは○○さんのVWです。ひどいように見えますが、○○さんは乗り換える気はありません。十分安全に走れるからです・・・・

月着陸船の写真
メインコピー
見かけは不恰好ですが、安全に人を運べることは同じです・・・
サブコピー
地点間の安全移動の道具、という車の本来の役目をユーモアたっぷりに・・・

何の写真だったかわすれた・・・
メインコピー
空気は凍りません・・・
サブコピー   空冷のよさをつたえる・・・


・・・まだまだたくさんある。
いずれも、自動車というものをステイタスの象徴ではなく、自動車本来の役目・「地点間移動の道具」であること。故障がすくなく実用品としてユーザーに経済的負担を与えないものであることを繰り返し、アメリカ人の自動車観に大きな変化を与えたものであったに違いない。そして、その効果はまさしくその後の販売台数でも見事に証明された。
book2
VWに乗ってみたこともないうちにこうした予備知識に洗脳されていたのだから、次に買うのはVWしか念頭になかったが、昭和42年ごろ、ついに手に入れるに至った。
ヤナセ本社からだったが、試乗の時セールスが、「ドアを閉めるときは少し窓を開けてください」といったのも判る製造精度は、窓を開けずに閉めると耳がつんと来るほどの密閉度で(それどころか閉めにくくなる)、なるほどこれなら川に飛び込んでも浮いていられるということ(広告にあった)は予感できた。

鉄板は厚く、ボディはしっかりしており、ヒトラーの注文は屋根なしの場所に駐車することを前提としたものだったそうで、塗装は4回塗料のプールに入れるとの説明があったが、全くきれいに仕上がっていた。

燃料計はこの年式からついたらしい。それ以前のものにはついておらず、燃料が切れるとブザーが鳴り、リザーブに切り替えたそうだ。リザーブタンクにはガソリンスタンドまで行ける程度の油を確保してある。

オート・チョークもついていた。それはいとも簡単なバイメタルを使った機械式のもので、エンジンをかけるとすぐは回転を高速にして、エンジンが温まるにしたがって適正な回転にした。急ぎの時はエンジンかけてバリバリふかせばすぐにアイドリングの回転を落とせる。暖機運転など不要だ。強制空冷の余熱を使ったヒーターは、エンジンスタートまもなく足元から暖かい風(熱すぎるほどの・・)を送ってくれる。

高級品のようであったウィンドウォッシャーが標準装備としてついていることには驚いたが、そのウィンドウォッシャーはフロント・トランクにある予備タイヤの空気圧を利用していることにも驚いた。水が切れればガソリンスタンドで、水を補給し、タイヤに空気を入れてもらえばOk!感動ものだった!

ショートストロークの空冷四気筒のエンジンは最高回転はたしか4000ぐらいだったと思うが、それだからカタログにある「巡行最大速度」115qならば、何日走っても大丈夫ですというのも理解できる。また空冷のよさは、かつてルノーの時代に冬場にはラジェーターに不凍液を、暖かくなると洗浄して普通の水に入れ替える面倒も解消してくれた。(「空気は凍りません」という広告を実感!)

試乗の時の首都高速で素晴らしいシンクロのギアの滑らかなチェンジによる素晴らしい加速も体験した。当時の国産車のチェンジギアはハンドルの下についたコラムシフトだったが、極めて入れにくく、時にはダブルクラッチを踏まなければならないほどだったが、VWのそれはアクセルのバック・ラッシュ(といったか?)を利用すれば、クラッチを踏まなくてもチェンジできるほどだった・・・・

こうした比類なき実用道具をさらに安全を継続させるための定期点検の整備記録は24万キロまでのスタンプカードがついていた!!
値段はラジオがついて958,000円。その値段は国産の1,500cc、トヨペットクラウン、日産オースチン級だったか・・・。1,200ccクラスの日産ダットサンは75万ぐらいだったと記憶している。

唯一の欠陥はクラッチワイヤで、これはセールスが、「30,000キロぐらい走ると、床下を通っているワイアが伸びて、クラッチが切れにくくなりますが、そのときは交換してください」と言っていたが、これもその通りに10万キロの間に3度ほど交換した。(床下は鉄板で覆われていて、露出されている部分はごくわずか)
故障なく、無事に帰ってくることが一大事であった当時の車の中で、故障のことなどとんと忘れさせて走ってくれる車がVWだった。



女房を横に乗せて朝7時に岩手の水沢を出発して北へ。盛岡からほとんど車とすれ違わない岩手の道を横断して(山間部の未舗装の九十九折の道を砂煙を上げて回って・・・)、岩泉・龍泉洞を見て宮古へ。釜石、気仙沼で寿司を食い、リヤス式海岸を南下、仙台から国道6号線を高速で走りに走って、夜(午前)1時に松戸に到着できた。

近所の仲間とのドライブで、富士山五合目までの登りの山道をレースもどきに走りトップを切った。

走るだけが楽しみだった年代でもあったせいか、目的地がなくても、大いにあちこちへ行ったが、とにかくよく走ってくれた。
東名高速がなかった頃、夜の8時に松戸を出発し東海道を小田原へ、そして箱根方面への乙女道路を登りきり、ターンして松戸へ夜1時に到着したこともある。VWは安心して、運転することを楽しませてくれる車だった。

前席シートはスライドで前後するが簡単にはずすこともでき、助手席をはずして後のシートに置き、市場で買った魚のたるを運んだ事もある。バンバーは頑丈で、縦列駐車され狭い駐車スペースから出られないときは、前後車にバンバーを当てて前の車を押し出し、スペースを広げて発進、等という事も当たり前のこと・・・



自分の選んだ信頼できる道具に特に余計な気を使ったりせずに、実用品として使いまくる。道具もその信頼に応える・・・。小生の車自分史はVW史に尽きる。
   5000キロ定期整備だけは欠かさずにヤナセまで持っていってやっていたが・・・


@
VW1200
 66年?
ラジオ付で958,000円だったか・・・Over10万キロ走行
バッテリーが6Vでライトが暗く、乗り換え
クラッチケーブル3回交換のみ



AVW1200 70年代後半?
円が一番高かった頃で値段は80万を切った。バッテリーは12X。5000qぐらいのころ、衝突・大破・・・廃車




BVW1303(2?) 80年頃
息子が生まれるころ購入。トーションバーからポルシェタイプのショックアブソーバーに変更タイプ(1600cc)
14万q走行時、免許を取った息子が初のドライブでトンネルで前車に追突、後車から追突され廃車

最後の1303にはアメリカからFRP製のロールスロイスのフロントをとりよせてつけたことがある。ライトはステンレス・バーを使って特注してなかなかの格好に仕上がったもので、当時珍しかったせいか、得意になって銀座に乗りつけ、注目されて愉快がったこともある。
しかしその後上記のように廃車の運命をたどることになる。その頃VWもついに水冷エンジン車も製造し始めるとともに、VWもドイツでは生産停止となった。

この頃は国産車もだいぶよくなってきて、またカー・クーラーのついた車も多くなってきており、夏場の渋滞の中でのクーラーなしの車内での拷問を感ずるようになった時、ついにVWとの決別の時がやってきた。(クーラーをつけられないVWへの家族の不満も生じた)
・・・しかし、以後VW以上に小生の心を動かした車はない。

車というものの本来の役割・「地点間の安全移動」ということだけをこれほどまで頑固に貫いた思想とそれを具現化した車があったというは、自動車を大衆のものとしたT型フォード神話から始まった自動車進化時代のもうひとつの神話といっていいのではないだろうか。
自由経済における競争原理のなかで、道具はひたすら便利さだけを追求し、思考を停止させるだけかのような不要の付属品を満載し、渋滞走行のための道具になっているような気がする。
不要なものを一切持たない純粋実用道具であったあの流線型の残像とともに、加速時のあの強制空冷のバタバタというエンジン音も、記憶のなかに鳴り続けている・・・・・(2005/1)
vw2007/11更新 
vw

追加更新(11/19) 平成19年11月
@フォルクスワーゲン世界を」 A「フォルクスワーゲンの広告キャンペーン
インターネットにて再入手!!
  @新書版 「フォルクスワーゲン世界を制す」 (行方不明) 著者 田口?失念 
  
新書版 .「フォルクスワーゲン世界をす」 著者 田口憲一  1961年9月30日発行 叶V潮社
目  次
      まえがき
序  章 VW都市ウォルフスブルク
──“ナゾの車フォルクスワーゲン”──
第一章 設計の奇才ポルシェ(VW生みの親)
──独自の技術の秘密──
第二章 初期VWとナチ国家の握手
──VW誕生の秘密──
第三章 敗戦挫折
──ポルシェの受難の意味とその秘密──
第四章 復活新工場誕生
──再建の秘密──
第五章 経営の偉材ノルトホフの登場
──繁栄の秘密──
第六章 海外を圧したフォルクスワーゲン
──輸出拡大の秘密──
第七章 フォルクスワーゲン会社の変貌
──ドイツにおける人民資本主義──
第八章 フォルクスワーゲンは何処へ行く
──ヒトラーの「善行」と「復讐について」──
0
  A「フォルクスワーゲンの広告」 著者 西尾忠?失念 (行方不明)
  フォルクスワーゲンの広告キャンペーン 」 著者 西尾忠久 美術出版社刊 1963年6月発行
   (平成19年11月 インターネットにて再入手!!

とくにお見せするものはありません。
’62年型フォルクスワーゲンもいままでと同じ

フォルクスワーゲンの広告キャンペーン
西尾忠久著 美術出版社刊 1963年6月発行
3 3

不良品 (↓ サブコピー


多くのフォルクスワーゲンが
10万マイルも乗られるわけ

Lemon.不良品
このVWは船積みされませんでした。車体の1カ所のクロームがはがれ、しみになっているので取り替えなければならないのです。
およそ目につくことがないと思われるほどのものですが・・・クルト・クローナーという検査員が発見したのです。

当社のウルフスプルグの工場では3.389人が一つ作業にあたっています。
VWを、生産工程ごとに検査するためにです。(日産3.000台のVWがつくられています。だから車より検査員の方が多いのです。)
あらゆるショック・アブソーバーがテストされます(部分チェックではだめなのです)。
ウインドシールドもすべて検査されます。何台ものVWが,とうてい肉眼では見えないような外装のかすり傷のために不合格となりました。

最終検査がまたすごい! 
VWの検査員は1台ずつ Funktionsprdtsand(車検台)まで走らせていって、189のチェック・ポイントを引っぱりまわし、自働ブレーキスタンドへ向けて放ちます。それで50台に1台のVWに対し、“No”をいうのです。この細部にわたる準備が、他の車よりもVWを長持ちさせ、維持費を少なくさせるのです。(中古VWが他の車にくらべて高価なワケもこれです。)
私たちは不良品をもぎとります。あなたはお値うち品どうぞ。

Lemon
lemonといっても食べる「レモン」ではなく、「不完全なもの、不満足なもの」を lemon と言うことがある。車をはじめ、時計やビデオなどの機械製品を指すことが多い。
"
I bought this VCR cheap, but it was a lemon."「ビデオデッキを安く買ったんだけど、不良品だったよ」というような具合である。
また、lemon の「使えない、がっかりさせる」という意味から、
"
The answer is a lemon."というスラング的フレーズもある。これは相手の頼みや要求に対して、「やだよ。ふーんだ」のように嫌悪、嘲笑の意味を込めて返答する時に使われる。
「スラングがいっぱいのコーナー」より

2

小さいことが理想
4

あり得ません

フォルクスワーゲンに必要な水は、洗う水だけ


空冷エンジンの長所の一つ : あなたは空気を使い果たすことはない
5

フォルクスワーゲンはやりすぎます:4重塗装

198ポンド


直すのですか?
部品ならそっくり組み立てるほどありますよ!

なぜ、フォルクスワーゲンはドアを閉める前
に窓を開けなければならないか
bangai

 番外 パロディになったVWとVWの広告・・・これまた傑作!アメリカのユーモア!

雑誌「マッド」'62年12月号が載せた、VW流の類似広告
“buggen”とは 「虫(bug)」 をもじったもの。

copy
Pesky Import やっかいな輸入品

からかうなって? いや、いや、これは車じゃないんです。かぶと虫──ドイツ産かぶと虫──フォルクスバッゲン(Volks'buggen)ですよ。
第2次世界大戦前には知られちゃいなかったのに、今じゃすごい勢いで増えて世界じゅうにひろがっています。これをかわいいという人もいます。そういう手合いはこれをペットにしてかわいがっていたり、会う人ごとに自慢したりしています。また,これをがまんならないと感じている人たちもいます。彼らはいつもこれをペストとよんで、ぶつかったり圧しつぶしたりすることを恐れているのです。

さて次には、ナンキン虫の飼育を商売にしている人たちがいます。
そういう人たちはこれが大きらい! 彼らはこのタフでちっぽけなよそ者が彼らの、もっと大きくはあるがずっとノロノロのアメリカのナンキン虫を傷めつけはしないかと脅えています。そこで彼らはわが国々産のいろいろな、小さいナンキン虫を創りだしたんです──バリアント、コルベア、ファルコンとかいう美しい名前をつけてね。
でも、今ご存じのように、勇猛なフォルクスバッゲンは自分なりにやっています。そしてナンキン虫たちの激しい戦闘がどこで終わるか──それがわかる人がいるでしょうか? 一つだけ確かなのは、フォルクスバッゲンは、とてもがっちりたてこもっているので、追いだすのは相当たいへんだろうということ。たぶん、新しい、日本の害虫がやってきさえしなければね。

vw-club
東京 VW CLUB 1965年

16〜





 1〜15・・・・ほかに 16〜135152
16 安西  温
17 湯浅  裕
18 梅村南匂
19 花光  章
20 高橋直良
21 滝  泰之
22 宮本健三
23 中山靖由
24 奥田  均
25 高木正夫
26 いソノてルヲ
27 滝本健吉
28 望月睦郎
29 枚山享永
30 田中一雄
31 横川四郎
32 佐々木一男
33 仲村  尚
34 中村  甫
35 江戸家猫八
36 兼松雅務
37 高橋鶴吉
38 小林公雄
39 細野誠一
40 青山富夫
41 益池正二
42 青島賢治
43 福岡康夫
44 中山晃一
45 宇都宮正友
46 中井明子
47 楠  安夫
48 田伏康蔵
49 喜多村誠
50 中野善男
51 渡辺一雄
52 藤田義勝
53 斎藤良男
54 佐藤久一郎
55 池田雅男
56 澄田 宏
57 井形 敦
58 楠原勝之祐
59 奥村敬三郎
60 飯田輔廣
61 貸川博之
62 青山春樹
63 中川一郎
64 神谷 操
65 岡田明彦
66 大辻伺郎
67 竹内  清
68 桜井凱夫
69 E.H.エリック
70 高橋雄一
71 柳瀬志郎
72 本田豊彦
73 乗杉 宏
74 黒崎勇人
75 王有  信
76 荒川  博
77 五味敏明
78 三国一郎
79 鈴木利明
80 福井俊雄
81 倉本繁男
82 多  容子
83 渡辺靖彰
84 若林雄次郎
85 高橋  望
86 長尾洋祐
87 田村嘉伸
88 米倉健志
89 久保田辰哉
90 堤  晴朗
91 猿若清方
92 重富一広
93 高田淵夫
94 水原位頴
95 久保田重雄
96 中村日出造
97 小林輝雄
98 中村道郎
99 渡辺孝二
100 松原恭子
101 寺田孔一
102 増田武彰
103 石井  彰
104 米田節子
105 コロンビア・ライト
106 熊谷  茂
107 椎津弘子
108 稲川広政
109 兎束俊之
110 榎本四郎
111 田中政一
112 森田恵美子
113 神谷大四郎
114 沢田武彦
115 横山推臣
116 和田礼子
117 近藤洋介
118 小林唯一
119 黒田高教
120 八野正男
121 鈴木淳二
122 水野稔堆
123 小山清夫
124 和田英一
125 岡島和熙
126 恒吉宏明
127 大森暢久
128 立入友昭
129 岡島光三郎
130 笹原貞彦
131 橋本国男
132 山崎敬生
133 梅沢茂登枝
134 砂村善治郎
135 楢崎二郎