taniguchi
『諸君!』平成20年1月号 紳士と淑女
追悼記事は一本も見なかったが、全日本男子の敵というか全日本女性の仇というか、とにかく常識に外れた男が、死ぬまでさんざん女房に迷惑をかけ、九十五まで長生きしてやっと世を去った。その名を谷口千吉という。

谷口の最初の妻は、脚本家の水木洋子(第一回菊池寛賞)だった。
岡田英次と久我美子の窓ガラス越しの接吻シーンのある「また逢う日まで」を書いた女性である。同じ今井正監督の「ひめゆりの塔」も書いた。戦時中からNHKラジオドラマの人気作者として広く知られたが、戦後映画の傑作「浮雲」も彼女のシナリオである。林芙美子の小説も戦後文学の金字塔だが、成瀬巳喜男が監督し森雅之と高峰秀子が演じる、ベトナムに始まって雨の屋久島に終わる男と女の物語は、観客の胸を締めつける映像だった。
谷口より二つ上の水木は、さぞ亭主を可愛がったことだろう。しかるに谷口は、戦後いち早く水木より十九も若い若山セツ子に乗り替えた。

清純可憐が娘の形をしたようなセツ子と俳優デビューした三船敏郎(プラス志村蕎)で、谷口は「銀嶺の果て」を作った。
昭和二十二年。日々の食うメシに追われる生活の中で、白銀の山も山小屋も見たことのない観客は、スクリーンに映る美しい山の景色とサスペンスに、何よりも若山セツ子に、ただ痺れた。若山はその後まもなく「青い山脈」に、丸眼鏡をかけた女学生の姿で出て、人気をさらった。

絶頂期の映画界にはよくあった監督と女優の結婚。
谷口は、いわば商品に手をつけた。しかも十年もしないうち、あっさりセツ子を捨てた。花の盛りを摘まれた女は、後年テレビに再発見されたものの長くほ続かず、五十代で精神科の病棟に縊死した。

谷口は、しぶとく生き続けた。池部良と山口淑子を使った「暁の脱走」はちょっと話題になったが、「銀嶺」一本だけで他にロクな映画を撮らなかった。僚友・黒澤明と何という差か。
さらに、あろうことか、谷口は八千草薫を三番目の妻とした。日本男子すべての恋人。サエない新郎は披露宴で「三度日の正直ということがありますから、今度は長く続くでしょう」と挨拶したという。なぜそういう結びつきが可能だったのか、理解できない。八千草は、最後まで、かいがいしく夫の面倒を見たという。そういう女を支えた心理も、理解できない。

最も分らないのは戦前・戦中・戦後を通じてラジオと映画に命を捧げた女と「戦後の化身のような女玲璃玉のごとき美女を、三人速攻で仕留めた男の腕前である。
この世には不可解なことが多いが、谷口千吉のどこがそんなに艮かったのだろう