| お気に入りの一節 | |
| 司馬遼太郎 国取り物語(四) 新潮文庫 昭和47年12月30日7刷 |
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(坪内石斎) |
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| 信長の身辺にあって秘書のような役をしている男に菅屋九右衛門という男がいる。じつに庶務の処理に長けた人物で、信長はこの人物をも手あかで磨くほどに使っている。 余談ながら菅屋は、織田家の一門織田信辰の子で、いわば当家中の名族の子だが、かといって信長は他の大名のように、菅屋を大将として使おうとはしない。 秘書としてしか、使わない。菅屋は庶務なら何事もこなせるが合戦のことになると、からっきし能がないからである。菅屋九右衛門はのちに本能寺の火の中で死ぬ。 その菅屋に、ある日、信長とその家族の食事を担当する御賄頭の市原五右衛門という男がやってきて、 「おそれながら話をお聞きねがえませぬか」 という。相談したい、というのである。 「何事ぞ」 「坪内石斎のことでござりまする」 と御賄頭がいったが、菅屋はすぐに石斎が何者であるかが思いだせなかった。 「思い出せぬ」 「御牢に入っている京の石斎でござりまするよ、料理では京随一といわれた。・・・・・」 とまでいわれて、菅屋はアアと言い、あの石斎はまだ生きておるか、といった。 「左様、生きておりまする。御牢に入れられて四年目に相成りまするが、病ひとつつかまつりませぬ」 「人間、保つものだな」 菅屋は感心した。 坪内石斎は罪があったわけではない。この男は京の前時代の支配者であった三好家の御賄頭をつとめた男で、織田軍が京から三好衆を駆逐したとき、不幸にも捕虜になった。かといって料理人のことだから殺すまでのことはない。それを岐阜に送って、城内の牢に入れておいたのである。信長もおそらくそのことを忘れているのであろう。 御賄頭の市原にいわせれば、石斎ほどの料理人を牢に入れておくのはもったいないというのである。 「石斎は日本国の宝でござりまするよ」 京料理に長じ、とくに武家の頭領である将軍家の料理作法にあかるく、室町風の鶴・鯉の料理はいうにおよばず、七五三饗の膳などどういう包丁でもこなせる男である。 「いかがでありましょう。牢から出し、あらためて御当家に召し出され、織田家の御賄方としてお使いなされては」 「もっとも」 と菅屋も思ったので、さっそく信長に言上した。信長はうなずき、 「旨ければ使ってやる」 といった。日本第一の京料理の名人といっても、信長は驚きもせず、ありがたがりもしなかった。 早速、石斎は牢から出され、すずやかな装束をあたえられ、台所に立たされた。この料理をしくじれば再び牢に逆もどりするのである。自然、台所方の者まで、石斎のために緊張した。 やがて膳は出来た。 それを係々がささげて信長のもとにもってゆく。信長は箸をとった。 吸物をぐっと呑んで妙な顔をした。やがて焼魚を食い、煮魚を食い、野菜を食い、ことごとに平らげた。 そのあと菅屋が入ってきて、いかがでござりました−ときくと、信長は大喝し、 「あんなものが食えるか。よくぞ石斎めは食わせおったものよ。料理人にて料理悪しきは世に在る理由なし、― 殺せ」 といった。 菅屋も、仕方なくひきさがり、その旨を石斎に伝えた。 石斎は大きな坊主頭をもった、とびきり小柄な老人である。ゆっくりうなずき、動ずる風もない。 「どうした、石斎」 「いや、相わかりましてござりまする。しかしながらいま一度だけ、御料理をさしあげさせて頂けませぬか。それにて御まずうござりましたならば、これは石斎の不器量、いさぎよく頭を刎ねてくださいませ」 といったから、菅屋ももっともと思い、その旨を信長に取り次いだ。 信長も、強いてはしりぞけない。 「されば明朝の膳も作れ」 と、わずかに折れて出た。 明朝になり、信長は石斎の料理にむかった。吸物をひと口すすると、首をかしげた。 「これは石斎か」 「左様にござりまする」 と、給仕の児小姓が指をついた。信長はさらに食った。もともと大食漢だけに膳の上の物はことごとく平らげ、箸を置き、 「石斎をゆるし、市原五右衛門同様賄頭として召し出してやる。滅法、旨かった」 と、機嫌がなおった。料理のうまさもさることながら、人の有能なところを見るのが信長の最も好むところなのである。 菅屋は、そのとおり石斎に伝えた。石斎はおどろきもせず、 「左様でござりましたか。御沙汰ありがたきしあわせに存じ奉りまする」 と通りいっぺんの会釈をし、退った。 あとで台所役人たちが疑問に思った。なぜ最初の料理があれほどまずかったか、ということである。 「石斎殿にも似気のないことだ」 と囁いたが、やがて石斎が他の者にこう語ったという噂がきこえてきた。 「最初の膳こそ、わが腕によりをかけ料理参らせた京の味よ」 だから薄味であった。なるべく材料そのものの味を生かし、塩、醤などの調味料で殺さない。すらりとした風味をこそ、都の貴顕紳士は好むのである。 ところが、二度目に信長のお気に召した料理こそ、厚化粧をしたような濃味で、塩や醤や甘味料をたっぷり加え、芋なども色が変わるほどに煮しめてある。 「田舎風に仕立てたのよ」 と石斎はいった。所詮は信長は尾張の土豪出身の田舎者にすぎぬということを、石斎は暗に言いたかったのである。 この噂が、まわりまわって信長の耳にとどいた。 意外にも信長は怒らなかった。 「あたりまえだ」 と、信長はいった。 この男は、都の味を知らずに言ったわけではなく、将軍の義昭や公卿、医師、茶人などにつきあってかれらの馳走にもあずかり、その経験でよく知っている。知っているだけでなくそのばかばかしいほどの薄味を、信長は憎悪していた。 だからこそ石斎の薄味を舌にのせたとき、 (あいつもこうか) と腹を立て、殺せといった。理由は無能だというのである。いかに京洛随一の料理人でも、信長の役に立たねば無能でしかない。 「おれの料理人ではないか」 信長の舌を悦ばせ、信長の食慾をそそり、その血肉を作るに役立ってこそ信長の料理人として有能なのである。 「翌朝、味を変えた。それでこそ石斎はおれのもとで働きうる」 信長はいった。 この有能、無能の評価の仕方は、他の武官、文官についてもいえるであろう。 藤吉郎は有能であった。 光秀もまた信長にとって、有能であった。しかし石斎の変転の器用さは同時に藤吉郎の持味でもあったが、光秀にもその臨機の転換ができるかどうかまでは、まだわからない。 |
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