残 像

1有馬  昇 有馬公認会計士事務所長
昭和 32.2.19
痩身鶴のごとし

3及川好之助 農業
昭和 45.6.26 東RC
小生の祖父の世代の感じのする村夫子風の穏やかなおじいさん。元気で時々演壇に立って堂々たる「松戸弁」で話をしていたことを思い出す。







12染谷茂三郎 千葉相互銀行松戸支店長
昭和47.2.17没
松戸ロータリー史にかならず登場する伝説的発起人。死してなおカリスマを維持。風貌からしてもまさに松戸のドン・染谷さんの一言で事が 治まったり、決定されたとのエピソードはよく聞かされる話。
しかし小生にとっては近所でもっとも早くTVを買った隣のおじさん。プロレスの時、染谷家 の茶の間は近所の人でごった返していた。ロータリーの帰りに若造だった小生を松戸市議会の 傍聴に誘ってくれた。ご子息の忠好さん、芳夫さん、茂子さんには子供の頃に遊んでもらった。

15山本 政蔵 輝建設(代)
昭和 51. 2.15没
元県会議長。房州訛。山水閣の南向きの日当たりの良い茶の間で、おみねさん(失礼・奥様です)の出してくれるふかし芋や煎餅を食いながら、時には噛みついたり、熱弁?を振るったこともあった。父と同郷だったので我慢してくれたのかもしれない。




18 根本  武 根本眼科医院長
昭和 41.12.30没
いかにも明治の気骨に溢れた「オッカナイ」眼医者の先生。笑った顔は見たことがない。最近はあまり眼科のお世話にはならないが、子供の頃はよく行った。
眼科の治療というと、洗眼液受けの容器を眼の下において眼を洗ったこと、眼にガラスの棒で軟膏をつけてもらうと、しばらくは周りが曇って見にくかったことを思い出す。診療代に 1,000円札を出すと「釣りがないから細かいのを持ってきてそこの箱に入れておけ」と言われ、取りに帰ったことがあった。

19 原田重左衛門 原田米店(代)
昭和 44. 9.30
原田さんの娘さんと小生の妹が同級生で、良く行き来していたようだったが、街で合うと「立ち話」が長く、急ぎの時に姿を見かけると隠れたこともあった。申し訳ありません。







20 松本  清 マツモトキヨシ
昭和 44. 9.30
松戸クラブのチャーターメンバーだったとは知らなかったが、市役所に初めて反対運動の陳情(PTAが設置を要請して県の予算の付いた歩道橋建設反対)をしたのが松本さんの市長時代。胸のすく対応をしてくれた。
「私も歩道橋は嫌いだが、予算が付いて、着工の時期になってしまったんだから仕方がない。だけど今からでもPTAと話して、君等が勝ったら君等の言うとおりにしてやる。行政は強いものの味方だよ」
商店会の集まりにやってきてスーパーについて講演。
「貧乏人は安いものが好きだ。だけど金持ちは貧乏人以上に安いものが好きだから金持ちになったんだ」
「店の赤電話は10円入れて通話料金は7円だから3円儲かる。だから置き場所だってどこでもいいという訳じゃない。商売のやり方なら私がいくらでも教えてやる」
「すぐやる課はなんでもすぐやるわけじゃない。すぐしなければならないことですぐ出来ることはすぐやります、といってるんだ。市民が役所を身近に感じてくれる事が大事なんだ」・・・・・・松本語録は今も新鮮だ。
ロータリーのチャーターメンバーだったがすぐにやめられたようだ。松本さんの「本音」はロータリーの枠には収まり切らなかったのかもしれない。

23 渡辺好一郎 エビス薬局
昭和 43. 1.17
エビス薬局の旦那と同時に先週45周年を迎えた松戸商工会議所創成期の専務理事として、また市会議員としても活躍。エビス薬局という店名だが、本当に「エビス顔」のご主人。本年亡くなられた。






24 伊藤良太郎 松屋(代)











昭和 32. 1. 1 〜昭和 49.12.11
事務局員のいない時代に3年間幹事を務めたお隣松屋せともの店の社長。生活パターンだけでなく表情まで完璧に几帳面。一貫した独自の理論をもって言行を一致させていた。人間が夏冬の温度差などに左右されることを好まず、また衣服は常に礼式に対応できるものであるべし、という信念から1年中「ダブルカフスのYシャツ」と「ダブルの背広」。ポロシャツ、オープンシャツ姿を物心ついて以来一回も見たことがない。
食事は主観的な「うまい」「まずい」でなく、エネルギー補給源としてとらえる。それゆえ牛乳・バター・チーズはことのほかご愛顧。かけそばに牛乳を入れたのには驚いた。
商店経営でも新機軸を連発。当時の町の商店にあって家族同士でも店では「社長」「専務」と呼び合うこと。週休制を取り入れたこと。受注の際の確認の電話録音。経理事務・
・・びっくりすることばかり。
選挙管理委員長、調停委員、そして「風俗研究家」としても一家言を有し、市内では著名。実地研究によく連れて行ってもらった。小生の仲人。ロータリーの紹介者。終生旦那を通した。

31 椎名 和司 読売椎名新聞店(代)・購読取次業
昭和33年〜平成7年
松戸商工会議所会頭、国家公安委員、松戸市国際交流協会理事長、松戸神社崇敬会会長他多くの公職で活躍中。ロータリーは現在お休み中。戦時中は陸軍航空隊で重爆撃機「呑龍」の搭乗員。






34 細田 忠信 たまや石材店(代)
昭和33年〜昭和 45 .6.26 東RC
細田さんの長男尚男君は小生と中学同窓。1昨年亡くなった。細田さんは落語のセンスとお色気まじりの軽妙洒脱な話術で卓話の名手だったが、伊藤さん同様、几帳面な性格でもあったのだろうか、やはり幹事を3年努められたそうだ(事務局員のいない時代)。





36 福岡 芳弘 福岡書店(代) 教科書販売
昭和33年〜昭和61年61. 5.28 西RC
甲種予科練出身。以前の松戸RCメンバーの鈴木知秋さん、清水昌三さんは陸軍のパイロット。今や戦後は50年を超えました。







39 宮崎 嘉美 宮崎電気
昭和36. 4. 1〜昭和44.10. 1
剣道の達人。体が大きく二刀流使いで、小太刀を相手にすると頭上から大太刀が降って来る。妹さんは小生の中部小学校の時の先生で、のちに校長先生で現在は教育委員の宮崎律子先生。






40 永瀬 武雄 椛蝌a物産・土地開発

















昭和36年〜昭和57. 3.31 中央RC
頭から太い首、そしてお腹までロータリー情報がぎっしり詰まっているかのような、「ロータリーの神様」と言われた方。
千葉銀行が現在の松戸信用金庫(現松戸商工会議所)のとなりにあって、その二階が例会場であった頃の支店長で、退職後の昭和36年に松戸RCに入会した。
ゴッツイ見かけからは想像も付かない日本画と書をなす。静物が多かったが、軽やかな筆捌きの、さらっとした画風で、お世辞でなく部屋に飾りたくなるものだ。松戸RCの創立20周年(会長は岡茂男さん)記念誌の表紙を飾った。絵だけでなく、書も独特の風格のある字で、武雄の雄に特徴があった。
地区の大会( I Mだったか?)の報告書で故・岡野Pガバナーの話しのテープおこしと編集を手伝って、誉めてもらった事を思い出す。
お酒が好きで、普段は優しい声だが、宴会の時はスターで、旅行などで一杯入るとはだけた浴衣で“オ−ソレミヨ”、“サンタルチア”などを浅草オペラ風に豪快に歌う。
昭和57年に中央クラブ設立に際してその心棒として移籍。創立期の中央クラブのまさに中核となって活躍された(後に会長)。
ここ数年間、体調を崩し療養されていたが、今月14日、眠るようにして逝去されたという。ご冥福をお祈り致します。

43 鈴木 知秋 鈴木(代)
昭和36年〜昭和49. 4. 2 北RC
謹厳なハンコ屋のご主人。篆刻の大家。鈴木さんが会報委員長時代に会報委員を努めた。ワープロもない時代で当時のテープおこしは思い出してもぞっとする。何回かは会報を休会にしたこともあったような気がする。戦争中は陸軍のパイロットだったそうだ。話を聞きたかったが、北クラブに移籍。そのままになってしまった。




45 大田原 栄 大田原(代) ・ガス供給
昭和36. 8. 1〜昭和45. 6.26 東RC
東クラブに移籍。商工会議所副会頭、NNTユーザー協会会長ほか市の要職につかれ ている。お若いときからゆったりとした大人風だが戦争中は海軍予備学生。

46 石原 昭男 石原昭夫会計事務所
昭和37. 5. 1〜昭和43. 1.17
あまり話をした記憶はないが石原会計事務所の所長。陸軍士官学校卒業の秀才だったとのことだが、たしかにキリッとして近寄り難い感じがした。弟の照男さんはヤマトビリヤード店主。小生もひところは良く通ったが昔の青年団の人たちで一杯だった。魚鹿のシンちゃん、ノブちゃん(失礼)、稲葉屋のヨッさん、林のカズさん、大貫さん(クリーニング店)、星野七郎さん(松戸東クラブ)・・
皆さん今から30才以上若かった時のこと。

48 石井亮太郎 中野家石材店(代)・記念碑製造
昭和37. 5. 1〜昭和45. 6.26 東RC
昨年の第2790地区ガバナー。いまだに青年の気概をもって活躍中。趣味もオートバイ、飛行機。「長い話」と自認されているよう  だが40年分となれば当然。懐かしいお話をありがとうございました。

49 小野市太郎 興洋(代)
昭和37. 5. 1〜昭和53. 6. 7
縫製業という商売がらか、おしゃれで帽子の好きな、またよく似合った紳士。ただおしゃれに似合わない、強い「地方訛」があったような記憶がある。

50 清水 昌三 清水昌三法律事務所所長
昭和58. 8. 3〜昭和59. 6.30 病気
にこやかで穏やかな兄貴といった感じの弁護士の先生。お住居は松戸神社の近くにあって、よく出前を持っていった。鈴木さんと同じく陸軍のパイロットだったそうで、よく鈴木さんと並んで座っていた。民事だけでなく若気の至りの事件で相談にお邪魔したこともある。大変お世話になりました。

59 阪田 七郎 阪田工務店 (代)
1964 昭和 39. 4. 1 1991 平成 3. 6. 5
コールマン髭を生やした阪田工務店の社長。元商工会議所会頭。お国訛(福島?)が強い。腰を痛められたとかで晩年は例会を休んでいたが(病気休暇)、当時の立澤会長(小生幹事)とお見舞いに行った時大変喜ばれて、出席できないのが残念で申し訳ないが、毎週の会報は楽しみにしているとの話を聞いて安心と同時に嬉しかった。

65 岡  茂雄 岡産婦人科稔台クリニック
40. 4. 1 1989 平成 1. 7. 5 健康上
戦争中は軍医でニューギニアにいたお話はよく聞いた。戦後はまだだれもスキンダイビングなどやっていない頃から、水中でのカラー映画撮影(傑作)までこなした「飛んでる先生」。80を過ぎて亡くなられる少し前まで馬術もなされていた。
晩年の情熱は禁煙運動。まだ誰も禁煙について言わない時に、松戸だけでなく他のクラブまで出向き、宣教師のようにストイックな使命感をもって「煙草の害」を熱烈に説いた。ひょっとしたら日本における本格的禁煙運動の草分けのひとりではないかと思う。禁煙の話をすると意図的に煙草をすったり、廊下に出ていく人もいたが、昨今の禁煙運動の高まりに免じてご容赦願います。最後まで元気に、頑固に、青春を、人生を楽しまれていた。

79 多田 二郎 関東飼料 (代)
42. 4.19 1977 52 病気
小柄で細身、枯淡の感じだがにこやかな笑みをたやさない飼料会社を経営していたジェントルマン。いつも背筋のピンとさせていた。若造の小生にも丁寧に話をしてくれた。

83 大越美津男 花卉小売
1968 昭和 43. 1. 1 1970 45. 6.26 東RC
大越さん、小倉孝さん、小生は一緒の入会。ゴッツイ体と容貌だがもの静かな八柱の石材店のご主人(職業は花卉小売)。あまり話をする間もなく東RC移籍後、急逝されてびっくりした。

93 深山 邦武 巨[山興業 養鶏
1969 昭和 44. 1. 1 1982 57. 3.31 中央RC
中央クラブに移籍。剣道、水泳で鍛えた筋肉はいまだに衰えず。スーパーマン。

106 河合 正行 河合食肉 (代)
昭和45年〜昭和57年 中央RC
中央クラブに移籍。時々の「辛口の一言」が元気の証明。松戸の食品衛生協会のボス。叙勲されました。