| 味 覚 自 分 史 |
| 終戦直前の食糧事情 文芸春秋『漫画読本』のご案内 |
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なににうまさを感ずるかは、時代や個人の生活環境の影響もあるだろうが、“ 味覚年齢
”というものがあるのではないかと思う。 |
| 終戦直前の食糧事情 |
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| 文芸春秋 「漫画読本」 昭和36年4月号 198ページ 付録 米軍の撒いた降伏勧告ビラ 「セッパつまり記」 (一部抜粋) |
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| 澁澤秀雄(随筆家) |
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| 五月十三日(日) 十日の句会には久保田万太郎、宮田重雄、徳川無声、小島政二郎、坂倉金一、西村晋一、それに飛び入りの吉村太一の諸氏が参集され、近ごろとしては珍しい盛会であった (下略) |
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このとき私はヤミで買った胡麻の油で精進揚げを作った。 みな鉄かぶとに巻きゲートルで弁当は各自持参という食糧難時代だから、テンプラの種もエビやアナゴやハゼはすでに伝説となり、わずかに庭の柿若葉、タンポポの葉、雪の下の葉、茶の芽、楓の葉という始末に「葉ばかり食う毛虫句会だ。」 と笑いあう。 それでも音だけは魚を揚げると同じで景気がいい。 無声氏提案の、あまり開いていないネギ坊主にクキを一、二寸付けたのは一番うまかった。 「こう俳句の季題ばかり食べると句はうまくなるよ。」 吉原飛び入り会員がこう言ったとたん、久保田宗匠は子供っぽい語調で、「句なんかうまくならなくてもいいから、あぶらっこいトンカツがくいたいな。」 一座ドッと笑う。 みなの切実な願いだった。 |
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| 六月十九日(火) (前略) 正午ごろ放送局の人がきて、前線向け放送を頼まれる。東京都民は罹災しても元気だ、という話を実例入りで強調してくれという注文。(下略)」 |
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| たしかこの放送をしにNHKへいったとき久しぶりで落語家の金馬さんに会った。 そこで私が「お宅はいかがでしたか?」ときくと、「見事に焼けました。お宅さまは?」 ときたので 「まだなんです・・・・」 と答えたとたん、「そりゃいけませんね」 とクヤミを言われたので、そこに居合わせた人たちがみなドッと笑った。 当時私は本当に罹災しないことを肩身狭く思い、焼ける日を心待ちにしていた。 |
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| 七月十一日(水) (前略) 六月二十五日は小絲さんの画室展覧会 (注、あまり世間にうるおいがなさすぎるので、小絲さんは画室を開放して小さな個展を開いた。これは大勢の人に大変喜ばれた) の最終日だった。 その翌日家の鶏がイタチに頚から血を吸われて死んだ。 鶏小屋の戸の下の土を掘って忍び込んだのであった。生血を吸ってゆくだけだからイタチは犬よりマシである。 (中略) そんな鶏でよければ展覧会の慰労会をやろう、と小絲君に電話したら、鶏はみな生血を絞ってから料理するものだから、イタチが絞ったって同じだ。大喜びで御馳走になるという。H子が丸煮にして野菜とドロドロに煮こみ、小絲さん、K、H子と四人で食べた。 うまかった。 小絲さん曰く、“僕イタチが好きになった。こんどさし向けるよ” |
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![]() 米軍の撒いた降伏勧告ビラ |
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