昭和34〜35年ごろの霧ヶ峰合宿 グライダーはプライマリーK14
写真は青山学院大学航空部、およびOB神戸さんのアルバムからお借りしました



合宿所は強清水山荘
教官はかつて海軍で飛行艇を操縦していたという藤原綱夫教官(綱ちゃん)。
デモフライトの時はかならず操縦桿から手を離し両手を広げて飛んだ。
はじめて見たときは驚いたが、機体の癖を調べるためだったそうだ。学生でまねをしたやつがいて、怒られていた。

プライマリーはグライダーの前方に付けてある左右に分かれた2本のゴム索を教官の「引け!」の号令で5人ずつ10人ほどで「オイチニ、オイチニ・・・」の掛け声で引く。教官の「離せ!」の号令でうしろで止めているロープを離すと、グライダーはゴムのパチンコの玉のように飛んでいく。引くのは10人(8人)、そして翼端持ち1名、テール持ち(といったか?)1名で、10回(12回)に一回飛ぶ順番が回ってくる。

ゴム索の引く歩数は科目によって異なり、教官が決める。
はじめの地上滑走はわずかだが、蛇行などとなると歩数も増え、体重のある生徒が操縦する時などは大変である。

飛んでいった機体を引き上げる

プライマリーでの高度は、高くても10メートルほどだったろうが、足元が丸出しの操縦席のせいもあってか、すごい高さを飛んでいるような気がしたものだった。
飛行時間も多くても20数秒ぐらいだったか?でも慣れてくるとその時間のうちに、チラッと霧が峰周辺の山々の景色を楽しめるようになってくる。10メートルほど飛びあがるだけだが、高いところで飛びあがるのだから、えらい高度を取ったような気になったのかもしれない。

馴れてきた頃、ゴム索を引く前に、教官は「操縦桿の位置をもう少し前に!(または引いて!)」と指導するが、高度を取りたいので、ゴム索を引き始めると同時に少しずつ操縦桿を引いておき、一気に高度をとった後、すくに抑えて、失速を防ぐ・・・などというテクニックをほかの大学の学生からおそわった。

当時は4年生でも霧ヶ峰でプライマリーで飛んでたんだろうか?
4年でこれで卒業という最後の飛行の時には、車山の下方にある、たしか“池のくるみ”という湿地帯まで飛ばせてくれたようで、パイロットはいい気持ちだったろうが、飛んでいった機体を急な斜面を引き上げて持ってくるのは、かなりの体力を要し、“くるみ飛行”をしたパイロットは、メンバー全員にお菓子・パンなどをおごるという習慣があったように記憶している。飛んだことはないが、日大の4年生の“くるみ飛行”後の引き上げに参加した記憶がある・・・・

日大、工学院、中央、立教、早稲田、慶応、東大・・・学連合同合宿で覚えた歌




思えば8月15日
翼をもがれた若人が
霧が峰を振り出しに
今こそ空へと巣立ち行く




とんびよよく聞け おれ達は
いまこそうまくはないけれど
やがて世界の天翔ける
天下一のパイロット
今でも時には口ずさんでしまう・・・・・
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海法秀一(元陸軍航空隊・軍曹) 描く


fujiwara

中央滑空練習所にて グライダー搭乗前の報告 左藤原 右沢田兼一氏


96式陸上攻撃機 この飛行機で大型グライダーを曳行した