浜田国松代議士
ハ ラ キ リ 問 答
    
政治家の職業倫理
shimomura


昭和12年1月21日、第70議会において、議会政治の根底に関わる問題、いわゆる「ハラキリ問答」が発生した。
政友会・浜田国松代議士の軍部批判に対する広田内閣の陸軍大臣寺内寿一の答弁。

陸軍大臣寺内寿一
「浜田君のお言葉はいささか軍人を侮辱さるる感じがする」

浜田代議士

「私は九千万の国民を背後にしている公職者である。
あなたから忠告を受けねばならぬことがあるなら、私は割腹して天下に謝さねばならぬ。
速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝す。なかったら君、割腹せよ!

2日後、広田内閣は総辞職する。
「一つの演説」が内閣を倒した。
が、引き継いだ林銑十郎内閣 (満州事変時の越境将軍) は政党をつぶすための内閣として、組閣後2カ月で抜き打ち解散。
総選挙は政友会、立憲民政党の圧勝であったが、組閣の大命は民意と異なり青年貴族宰相 ・近衛文麿に下り、その第1次近衛内閣において蘆溝橋事件、日中全面戦争の泥沼に突入した。(その後1年半で総辞職)
          

広田弘毅

林銑十郎
参考 NHKスペシャル『昭和の名演説』より

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昭和15年2月2日 支那事変処理に関して  リンク 日本国憲法公布
立憲民政党 斎藤隆夫の舌鋒火を噴く演説
斎藤隆夫著 『回顧七十年』 中公文庫 官報速記録より削除せられたる部分

斎藤代議士

聖戦の美名に隠れて、いわく国民主義、道義外交、共存共栄、世界の平和等、雲をつかむような文字を並べ立てて国家百年の大計を誤るようなことがあれば、政治家は死してもその罪を滅し得ない。
この事変の目的はどこにあるかわからない

国民は悲憤の涙を流しつつ従順に、黙として政府の統制に服従し、事変を解決してくれることを期待している。
国を率いる政治家はここに注目するべきである。

しかるに事変以来二年有半の間に内閣は三度も総辞職し(近衛・平沼・阿部内閣)、政局の安定すら得られない状態でどうしてこの国難にあたることができるか!」

齋藤隆夫

内閣書記官長
現在内閣官房長官)が演説の一部(前記赤字)を不穏当として議事録からの削除を要求。
斎藤代議士には全国から激励の手紙、中には点字の激励文も寄せられたが、問題は斎藤の代議士除名へと進み、3月7日、議会は斎藤隆夫の議員除名を決定した。
反対するものは7名。

斎藤曰く「奈落の底だよ」

日本の破滅を必死にくい止めんとした少数の政治家の「熱烈な職業倫理」に基づいた議会活動であったが、政党は自ら政党政治を終焉させ「翼賛選挙」とし、結果、日本は破滅した。

近衛文麿
参考 NHKスペシャル『昭和の名演説』より

官報速記録より削除せられたる部分


第八十九帝国議会における最後の陸軍大臣下村 定大将の答弁
       昭和20年11月27日開会
児島襄 『史録 日本国憲法』 文春文庫版 161ページ  戦争責任追及の声

・・・衆議院本会議の冒頭質問に立った進歩党代議士斎藤隆夫は、次のように述べた。

戦争責任の問題であるが、自分の意見では東条と近衛の両氏に責任があると思う。支那事変なければ、今次大戦はない。(今次)戦争の責任が東条大将にあれば、支那事変の責任は近衛公にある。無力な汪精衛を引き出してきた事実、三国同盟を結んだ事実、これらは米英への挑発といわねばならぬ。日米会談は何故出来なかったか。
東条大将は戦争犯罪人となっているが、近衛公は未だ宮中に関係している。これは国民の思想に悪影響を与える。これを放置するのは何故か


拍手、そして怒号にも似た賛意表明のかけ声がわき起こった。斎藤代議士は、日本に軍国主義を横行させた陸軍の責任についても、質問した。黒い背広姿の陸相下村定が答弁に立ったが、下村陸相は壇上に両手をつき、深く頭を下げた。

「・・・・・軍の指導者が間違っていた。さらに許すべからざるは、軍の不当なる政治干渉である。この結果、国家を重大な結末に導いたのは、なんとも申し訳ない。陸軍の最後にあたり・・・全国民に衷心よりお詫び申し上げる

どのような答弁をするかと静まりかえっていた議場は、一言を率直さとともにしぼりだし、一句を悔恨の苦渋とともにはきだし、壇上に身を伏せる下村陸相の姿にざわめいた。

しかしながら、国を思い身を投げだした尽忠の軍人、とくに戦没英霊にたいしては、深き同情を賜らんことをお願いする

議場には、わかった、もういいぞ、という声がひびいていたが下村陸相の言葉の終りは、たまりかねむせび泣きと拍手におおわれた。・・・

最後の陸軍大臣 下村定大将

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