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| 昭和40年ごろTBSが放映していたCBS製作のニュースドキュメント「20世紀の記録」という30分番組があった。この当時はまだビデオがなかったが、その後の再放送時(昭和50年代?)に収録したものである。.(ナレーションはTBSの新堀アナウンサー) | |||||||||||||||||
| 日程参考 光野正洋著 『日本軍の小失敗の研究』 光文社文庫 2000年2月15日発行. | |||||||||||||||||
昭和17年4月18日 真珠湾の最初の復讐 東京空襲(松戸〜日暮里上空を通過) |
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| f “トラ!・トラ!・トラ!”と「ドゥーリトル」そして、メソジスト教会 旭防空監視哨の記録 |
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| ドーリトル 日本空襲まで 真珠湾攻撃1941年12月7日からわずか4ヶ月で計画立案 → 訓練 → 実行!! |
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| ● | 日米開戦 | ||||||||||||||||
| 1941年12月7日(アメリカ時間) | |||||||||||||||||
| ● | 米軍首脳に東京空襲の着想浮かぶ | ||||||||||||||||
| 1942年1月の初め | |||||||||||||||||
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| ● | ルーズベルト大統領、作戦の立案を命令 | ||||||||||||||||
| 1月10日 | |||||||||||||||||
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| ● | 航空母艦とB25の組み合わせ、 | ||||||||||||||||
| および指揮官にJ・H・ドーリトルを決定 1月17日 |
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| ● | B25の空母ホーネットからの発艦テスト | ||||||||||||||||
| 2月2日 | |||||||||||||||||
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| ● | B25部隊の編成と訓練の開始 | ||||||||||||||||
| 2月3日より3月末までつづく | |||||||||||||||||
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| ● | B25の改造作業 | ||||||||||||||||
| 2月12日より1週間 | |||||||||||||||||
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| ● | 機体と乗員の最終点検、空母への積み込み | ||||||||||||||||
| 3月31日 | |||||||||||||||||
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| ● | 第16機動部隊、アラメダ海軍基地を出港 | ||||||||||||||||
| 4月2日 | |||||||||||||||||
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![]() 空母ホーネットに搭載された16機の陸軍爆撃機・B-25
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| ● | 4月18日、午前6時30分 日本空襲の1番機(ドーリトル中佐機)発艦 | ||||||||||||||||
| 松戸〜日暮里上空を通過 | |||||||||||||||||
![]() 強風下発艦するドゥリトル機 |
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| d 陸軍、海軍の確執に最後までつきまとわれた日本軍からは生まれようもなかった「陸軍機を空母に載せ、陸軍中佐によって指揮させる」というこの作戦が太平洋戦争史に名を残すに値するものであったということに異論を挟むものいないだろう。 戦術的戦果は微々たるもの(DO-LITTLE)であったが、開戦初頭の連戦連勝のなかで、日本本土に敵は絶対に入れないと豪語していた日本軍首脳に与えたショックは極めて大きく、その動揺が山本五十六をして焦燥のなかで、あのミッドウェーに向かわせ、結果、その後の日本の行く末を決定付けた、きわめて DO-LARGE!なものであったということは多くの戦史が語るところである。 驚くべきことはこの作戦が真珠湾攻撃直後に発想され、具体的計画承認、訓練、機種改造、そして実行までわずか“4ヶ月”の間になされたことである。 真珠湾の一撃をくらった直後、アメリカのタフネスを米国民に示したこのすばやい対応の延長線は、9・11後のフセイン・イラクへの対応であろうことは十分理解できる。そして、フロンティア・スピリット以来の冒険心はその後、未知の宇宙への挑戦として伝承されている。 作戦終了後の記者会見における「どこから発艦したのか?」という記者の質問に、「シャングリラから・・・」(J・ヒルトンの小説『失われた地平線』のなかの伝説的秘境の名)、というユーモアをまじえたルーズベルト大統領の応えも歴史に刻まれた。 この会見の様子にアメリカの余裕とユーモアを理解する報道との健全な関係の一端も感ずる。 一方わが国の軍部・大本営はミッドウェーの敗戦の隠蔽からはじまる虚偽の戦果発表、報道統制をつづけ、国民は勝った勝ったのなかで、8月15日を迎えることになった。 |
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| 日本占領下の中国各地に不時着・・・帰還した隊員の戦後の再会 「輝かしいあの日のために・・・乾杯」doolittle | |||||||||||||||||
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![]() ![]() |
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デシェーザー氏との対面 (↑より)![]() |
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![]() 「真珠湾攻撃総隊長の回想」 淵田美津雄自叙伝より 講談社 2007年12月発行 |
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別の淵田美津雄伝 自伝にはなかった艶福家であったそうだ |
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