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旭防空監視哨の記録 昭和54年8月15日発行 福原 勤 著 |
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五、ドゥリットル隊の初空襲 (72ページ) |
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| 1 旭哨の敵機発見 | ||||||||||
| 想えば、私達が勤務していた旭防空監視哨は、開戦後我が軍の連戦連勝のニュースに湧いていた頃の、昭和十七年(1942)四月十八日、十二時十分頃、一瞬の間に生じた大事件に遭遇した。前年の十二月八日の開戦から、僅か四ケ月余りを過ぎた頃の出来事である。 監視台上で立哨中の、幸島副哨長と私達は、東方から超低空で飛来するドス黒い色をした、得体の知れない双発の飛行機を発見したのである。 開発を入れずに、「ホーコーク」 (報告の意)とカン高い第一声をあげた。これは所定の通信員に対する掛声である。 続いて、
と、隣接の通信室の勤務者に対して怒鳴るように伝えた。 これを受けた通信員は、直ちに上部の銚子監視隊本部に対し、私達立哨者の報告を復唱する形で電話報告を開始した。 しかしながら、如何に通報すると言っても、手動式直通電話で本部を呼出してから、報告終了するまでに最低四十秒程度の時間は必要である。従って、電話報告中にも、超低空で飛来する飛行機は、容赦なくその距離が縮まっていた。 「まさか」という動揺と、「本物の敵機だ」という驚きに、一瞬声を呑み、体の震えを感じながら、本部に通話中の通信員に対して、「敵機だ、敵機だ」と訂正報告をさせるよう怒鳴った。通信員の驚きと緊張は、私達立哨者と変るところはなかったのは言う迄もない。 さて、最初に私達立哨員が識別上「不明」としたのは、東方に敵機を発見した時点では、超低空で飛来する飛行機の正面しか見えない状況であったので「変った飛行機だが、この真昼間に、こんな低空で、よもや敵機でもあるまい。これは事によると我々にも知らされていない秘密に属する日本の新型機かな?」と思った。勿論、これも僅か一秒にも満たない戸惑いに過ぎなかったが、見たこともないドス黒い飛行機は、直感的に「敵機だ」と判断することの方が妥当と思われた。 それにしても、最初は「敵機」とは言えず「不明」と言ってから、近距離で「敵機」と判定できたので、本部に通話中の通信員に対し直ちに「敵機だ!!と訂正報告をさせたのである。 そして件(くだん)の一機が電柱スレスレの高度で、物すごい爆音をたて、立哨台の真横に見えた時には、まざれもなく米国のマークをつけた敵機であることが確認されたが、眼を転ずると続いて同型の一機が東方の台地上に現れた。 この間隔は約二分位後のことである。 私達は、余りの重大な出来事に一瞬「ボーッ」とし、悪夢から醒めた様な状態の中で、敵機来襲の再報告を本部に対して行った。 この敵機発見報告当時は、空襲警報発令前のことであり、約二十分後に、始めて空襲警報のサイレンが鳴り響いた。この音に驚いて屋外に飛び出した人々の頭上を、超低空で、更にもう1機の敵機が通過し、市内に建設中の、香取航空基地の作業現場宿舎に焼夷弾を投下して、西方に逃避した。基地の宿舎が災上した黒煙は、旭哨からよく望見され、改めて本土防空監視の責任をつくづく感じさせられたのであった。
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| 七 初空襲発表の概要 1 軍部の第一次発表 (87ページ) |
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香取海軍基地 昭和19年 右後方の機体は「天山」 染谷憲二 元海軍一飛曹提供 |
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