| 平成4年(1992 国内ではり・ウネだけが報道されていた時代 ) に朝鮮を訪問された方の投稿です。 大平(1978)、鈴木(1981)、中曽根(1982)、竹下(1987)、宇野(1989)、海部(1989)、宮沢、(平成4年/1992年、この頃より拉致疑惑) 細川(1993)、羽田(1994)、村山(1994)、橋本(1995拉致発覚)、小渕(1998)、森(2000) ・・・・・ただしここまでは政府は行方不明者扱い そして 2002年 9月17日! |
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| 小泉総理・・・日本総理大臣としてはじめて朝鮮民主主義人民共和国を訪問 朝鮮民主主義人民共和国 拉致を認め謝罪 |
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なお、9月17日以降のTVニュースで放映された、いつも金総書記の隣にいる通訳↑は、この旅行時の幹部通訳・F(黄虎男)君とのことです。 |
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| 平成14年9月17日 本町自治会 | ||
| 朝 鮮 漫 遊 記 平成4年(1992)7月30日 〜 8月5日 |
日程 |
![]() 朝鮮民航 |
| 出発 (7月30日・木) ボーイング727にそっくりなツポレフTU154は、一瞬ひやりとするほど滑走路をいっぱいに使って名古屋を離れた。
シックバッグ(ゲロ袋)をはじめ機内の様子からしても、共産圏の製品の遅れを感ずるが、 「飛行機は空を飛ぶもの」 ということぐらいはちゃんとやってもらいたいものだ。 しかしこの旅行で、共産圏の経済の、また製品の遅れついてはいちいち考えないことにしておこう。わかりきったことだし、それはついこの間の我々の姿だったのだから・。 さあ、いよいよ「あこがれの北朝鮮」への出発だ。 |
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主体思想による地上の楽園、と宣伝されているが、最近の日本では 「謎の北朝鮮」
「悪夢の北朝鮮」 「金日成の野望」
等の本により、慢性的な食料不足、かつての五人組制度どころではない厳しい相互監視、密告の奨励、政治犯の溢れる北部の収容所、家系の出生成分による住居・職業の規制、徹底的な思想統制と報道管制・・・という、むしろ
「恐ろしい謎の国」
というイメージのほうが強い。 そうした国が観光客を入れ始めることを決意したのだ。 こっちも怖いもの見たさだが、むこうも相当な覚悟と準備をしたに違いない。 したがって、我々が行くところはすべて 「観光客を入れていい・見せていい」 状態にしたところだけであって、通過する道路もなにもすべて 「見せていいルート」 にしてあるはずである。 でも一体どこまで見せるのか。見られるのか。 「地上の楽園」 と 「恐ろしい国」。 相反する情報のとびかう 「近くて遠い謎の国」 への旅はいやがうえにも好奇心をかきたてる、と同時に、どうしても 「韓国」 と 「朝鮮」 を考えざるをえない。 身内同士なのに (身内であるがゆえに?) 極端に仲が悪くなってしまい、おたがいに命がけで意地を張り合っている同士のうち、近所であまり評判の良くない方に遊びに行くのだ。 いかなるスタンスで旅をするかについて神経質にならざるをえない。 カバンに入れる本もなるべく 「朝鮮」 と書いたものだけを入れるようにしたが、旅行会話については 「韓国語」 だけしか見つからなかった。 仕方がないのでカバーを裏返しにしていたが、万が一、不審に思われたら困るので同行する旅行団の事務局の人に聞く。 「結構ですよ。人前で開いてもかまいません。」 との返事に 「ほんとかね」 と思いながらもお墨付きをもらったようでまず一安心。 |
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機内食は日本出発の為か 「幕の内弁当」 風朝鮮弁当。センスはともかく心づくしのもの。 情報の中では、恐らく朝鮮人民のけっして口に出来ないものばかりのような気がして、ありがたく全部たいらげる。 初めて朝鮮のビールも経験する。 ドイツビールのような感じだ。スチュワデスのユニホームはイマイチだったが、みんなきれいで感じがいい。(写真はおっかなそうに写っているが・・・) 機は名古屋を飛び立ち、日本アルプスを越え新潟へ。 そして佐渡を眼下に韓国の空域を避けて日本海 (朝鮮東海・チョソントンヘ) を北上し、朝鮮空域に入って左旋回して半島を横断、平壌に向っているようだ。 |
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人気のない平壌空港にタッチダウン。 かつて降りた共産中国の上海空港に似ている。 ソ連製のイリューシン、アントノフ等の旧型が少々おいてあるが、飛行機が頻繁に離着陸している感じはまったくしない。 殺風景で朝鮮の表玄関、国際空港としてはちょっとさびしい感じがする。 しかし、着陸した飛行機の窓から殺風景な中に、空港ビルの上の色どりも鮮やかな金日成主席の大看板が見えた!! 誰よりもまず最初に、主席に 「アンニョンハシムニカ」 と言うわけだ。 |
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まず首領様に “アンニョンハシムニカ” 平壌空港にて |
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平壌空港にて |
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入国手続きを終え、車も自転車もほとんどいない高速道路をバスで平壌に向かう。 好奇心の高まりはいやがうえにもましていく。 出発前に写真で見た平壌は、人気のない荒野のティラノザウルスやプロントザウルスを思わせるかのような高層ビルや巨大な建築物、また現代にあって古代世界が突如として出現したかのような巨大モニュメント群に溢れた、あまり住民のにおいのしない街のようであった。 ほんとに写真で見たような平壌が目の前に出て来るのだろうか。 バスは市内に入る。 |
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朝鮮観光案内より |
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写真で見た建造物が次々とそのまま現われてくる。ああ、ついにやってきたのだ・・・・。 偉大なる金日成将軍が抗日戦争に勝利し、祖国解放の偉業を達成した記念に建てられたという凱旋門をくぐり、いよいよ市内中心へ。人が見え始める。 どこの国でも、田舎へいくと外国人が珍しいせいか、「あら、外人よ」と言うような顔をしてみたり、笑顔で手を振ったりするものだが、その点都会人は外人を見慣れているせいか、さして関心を示さない。 が、ここは朝鮮一の大都市なのにみんなが珍しそうな顔をしてバスを見ている。手を振る人もいる。いままで観光客があまりこなかったのだろうか。 |
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朝鮮観光案内より |
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我々のベースとなる高麗(コリョ)ホテルに到着。 45階建、ツインタワーの平壌第一のホテルである。 人影の少ない、車の少ない広い通りに、そびえたつ二本の塔。ちょっとキリコの絵を思い出させる不気味さを感ずる。 |
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歓迎パーティーの料理 歓迎パーティー 朝鮮文化交流協会 |
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同じ共産圏でもかつて行った上海や南京は雑然としたところもあって、いかにも我々の知っている 「人が住んでいる街」 という感じがしたが、ここは違う。まったくの別世界に来たような気がする。(お盆休みの霞が関のイメージだ。) 松戸のグループで45階の展望レストランにいって暗い平壌の街を眺める。12時就寝 |
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二日目に |
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| 1日目 出発 名古屋空港 → 平壌高麗ホテル 2日目 市内観光 歴史博物館 メーデースタジアム 青春街 金剛山へ 3日目 金剛山 三日浦 平壌冷麺 4日目 市内観光 万景台 主体思想塔 工場見学 広法寺 蒼光通り 5日目 開城 板門店 デモ行進 恭民王の墓 6日目(最終日) 地下鉄 万寿台芸術院 人民大学習堂 学校見学、 2日目 公会堂で平壌市民との交流集会 映画観賞 サーカス見物 デパート |
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