オートバイ (’05/1/15
平成17年4月1日 高速道路二人乗り解禁 詳細・・・

若い時はなんでもいいから乗りたくてしかたがなかったオートバイ・・・

フォルム、サウンド・・・前方視界をさえぎるものはなく、スピードを身体に受ける風で体感できる爽快感・・・乗せられているのではなく、まさに駆使しての長距離ツーリングでは到着後、おもわずよく走ってくれたとタンクを馬の首をなぜるようにしたくなるような、まさに鉄の馬との一体感・・・

長い間付き合っていると乗物としてだけではない魅力も感じてくる。

昭和30年代のヤマハの雑誌広告より




昭和30年代初め、おそらく大卒の初任給が1万円に到達していなかった頃、英車、独車の新車は60万〜80万ほどだったから、現在に換算すると1000万円に近かったのだろうか?
英車、トライアンフ(T100〜T110タイガー、トロフィー)、BSA、AJS、マッチレス、ノートン、ロイヤルエンフィールド、ヴェロセット、高級車ヴィンセント・・・・などの完成されたデザインと弾けるようなサウンド。

(あまり好きではなかったがアリエル1000【スクウェア4という4気筒を
四角に並べたエンジン】、サンビーム直列2気筒もあったが、どちらも後ろ側にあるシリンダーは冷却しにくく、オーバーヒートしやすかったそうだ)

がっちりした、丁寧なつくりと精度の高い機関を持つDKW、NSU、チュンダップ、そして静かなる名車BMWなどのドイツ車、そしてあの有名なアメリカのハーレー・ダビットソン・・・・・・どれもが手の届かない、見ているだけのあごがれだった。

当時の国産は大排気量はメグロ、キャブトン、陸王などで、ほかに名車の呼び声高く、また値段も飛びぬけていた山田輪盛館のホスク、BMWのフル・コピーのDSK、BIM、そして中型排気量のホンダ・ドリーム、ヤマハ、スズキ・コレダ号などがその後の躍進のスタートラインに並んでいたが、それらにしても高嶺の花であったことはおなじ・・・

ホスク250 オートバイ・グラフィティーより

昭和40年代になって(仕事に就いて)、かつての憧れの車も中古ならば射程距離になった時、ちょっとした悩みが生じた。
右足チェンジ(ブレーキは左)の英車か、左足チェンジ(ブレーキは右)の独車にするかの選択である。
自動車の左ハンドル、右ハンドルの選択以上に、オートバイという咄嗟の時が常に付きまとう乗り物は、車種によって考えながら踏む足を決めるなどということは不可能だからだ。
考えた上で選んだのは左チェンジのドイツ車、BMW R69Sである。(もちろん中古)
それ以外にも乗る機会の多いであろう国産車は独車とおなじ左チェンジが主流になるに違いないと思ったからだ。

ドイツは右側通行だから、歩道側の足を地に付け、左足でキックしエンジン始動、そしてチェンジギアを入れて発進することは極めて合理的で@、逆に左側通行のイギリスはその逆が安全の意味からも当然である。A

しかし、後にオートバイ大国となる国産オートバイ会社、ホンダ・ヤマハ・スズキは日本の交通規則がイギリスとおなじ左通行にもかかわらず、ドイツとおなじ規格の左チェンジ、右ブレーキ方式を選択した。したがって、車の行き来する危険な右側に足をついて歩道側の左足を上げてギアを入れて発進する。B
なぜこんな理屈に合わない設計をしたのだろう?



@右側通行 ドイツ A左側通行 イギリス B左側通行 日本

戦後、意気盛んな国産オートバイの新設会社の多くはその範をドイツに求めた。
ホンダはNSU、ヤマハはDKW、そしてスズキはおそらくはアドラーではなかったか(アドラーの2サイクル2気筒250ccエンジンは当時としては画期的な18馬力を発揮していた)。
ドイツ車は右側通行にあった左チェンジ。そこで当初はフル・コピーから出発した戦後の国産車は迷うことなく左チェンジを選んだのではないだろうか?

YAMAHA SPORT 昭和36年の雑誌広告 

一方英車のコピーから始めた国産車もあった。メグロ、キャブトン(瑞穂工業)、ホスク・・・などである。
重い車両の分だけがっちり作ってあり、当時白バイとして活躍していたメグロ単気筒・スタミナは500ccの排気量をもちながら、馬力は20馬力で、わずか250ccで18馬力を誇っていた同時期のホンダ、ヤマハ、スズキと比べても高出力どころか、むしろ低出力エンジンだったが、その低回転、ロングストロークの単気筒のサウンドは、なんともいえないものだった。
しかし、その後のホンダ、ヤマハ、スズキの左チェンジ車の発展振りは、右チェンジ車の英車、またそのコピーの国産ではメグロ、キャブトンなどの衰退をもたらしたに違いない。のちになって、誇り高き英車のトライアンフまでもが、なんとも格好の悪い、見るに耐えないリンク棒によって無理やり左チェンジに変更したが、その衰退をとめることはできなかったようだ。

BMW R69S(編者画)

BMW R69Sは素晴らしい車だった。
重心の低い、長いホイルベースの車体はがっちり仕上がっており、エンジン部分からは当時の国産車に多かった油もれなどはほとんどなく、漆黒のタンクには丁寧なエナメルの手書きで2本線が入っている。

シャフトドライブとトルクの影響で、アクセルを吹かすぐらりと傾くが、それがまた特徴で、オートバイのロールスロイスと称された静かなエンジンは、威嚇するような音も出さずに、スゥーッと他を引き離し、トップに踊り出る。

ある時、知人の息子が乗りたいというので、貸したところ流山街道でタクシーに追突してしまった(100キロ近かったらしい)。BMWはあの頑丈なアールズ・フォークのフロントフォークが曲がってしまったが、ほかはほとんど無事だった。だがタクシーのバンバーはひん曲がり、運転手は鞭打ちになってしまった。その息子も衝撃ではるか前方に飛ばされ、病院で「今晩が山です」、というところまでいったが、その後退院して何事もなかったのは、走り出す直前に、ドイツのヘルメット(これもきわめて頑丈なローメルというヘルメット)に交換させたのが利いたのかもしれない。
それに懲りてその後10年程はオートバイをやめたが、再び乗り始めるときに選んだのはやはりBMWの水平対向車で、現在三台目のもの(LS60・600cc)がガレージにある。ただあまり乗ってあげないのが申し訳なく思っている。

英国車、特にトライアンフも忘れられない車であったが、なんとしてもネックは前述の右チェンジで、左ハンドルの車を乗る以上に気を使うものであることが選択を断念させた原因だった。
しかしその憧れは別の形で目的を果たすことが出来た。

当時、ホンダにシルクロードという225ccのオートバイがあった。これはよく見るとタイガー・カブという、トライアンフの小型車(200cc)に形だけの小改造で似せることの出来る素材であったので、買ってすぐに専門店で改造してもらった。
それがこの絵で、タンクにつけた名前は、LOGOをTRIUMPHそっくりにTRIHALH(トライハーフ)とした。半分だけトライアンフというわけだ。

TriumphならぬTrihalf(編者画)

最高速度は120キロほどしか出なかったが、かつてはこれで長距離ツーリングもした。
ある時中仙道から名古屋に出て東名高速を東京に向かって走っている時に大型トラックがいつまでも追跡してくるので、気味が悪くなって途中の休憩所に逃げ込んだが、そこにもついてきた。
なにかトラックを怒らせるようなことをしたかと心配になったが、その運転手は「まだトライアンフがあるのかと思ってついてきた。ちょっと見せてくれ」とのこと。改造がいがあったというものだ。
なんの事故も起こさずいまも健在でいるが、あまり乗っていないのがかわいそうである。
現在はBMW LS60(600cc)、上記トライハ−フ、そしてホンダ250のサイドカーがガレージにある。
サイドカーの面白さについては別の機会に・・・

サイドカー