レジュメ
  『 オウム事件と日本宗教の終焉 』
山折哲雄   国際日本文化研究センター教授 ( 『 諸君!』平成7年6月号 )
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関連リンク
なぜ、立憲政治は、機軸としてキリスト教的神を必要とするか  (『日本国民に告ぐ』 小室直樹著 より抜粋).
教育勅語 
(松戸神社HP)
象徴の設計
(松本清張著 ご案内)
リンク 殺せ!神がと命じる時 (佐倉哲エッセイ集)

内村鑑三

平成七年




日本人の宗教が壊滅的な打撃を受けた紀元元年
日本の宗教の屍が白日のもとにさらけ出された年

阪神大震災オウム真理教事件

阪神大震災・・・現場に宗教者の姿なし
活動した「宗教者」も「ボランティア」「精神科医」「心理カウンセラー」として・
「宗教者」であることの立脚地を喪失したまま宗教者として振る舞う
  → 世論が「宗教者」に対して「宗教者」として振る舞うことを許さず
  → 「宗教」は沈黙・活動の場を奪われ窒息

宗教そのものへの不信と疑惑
オウム真理教事件
宗教を無視した社会は「異物の宗教」(オウム)の影に脅える
  → 既成の宗教集団はオウム真理教の非宗教性を糾弾
  → 既成宗教集団の保身

既成宗教集団・・・・・「悪しき宗教・非宗教」と「善き宗教」を区別
しかし宗教に対する世論とマスコミの批判は加速化

日本の宗教の権威喪失・・・今日このごろのことではない

   仏教・・・宗教法人法によって守護された観光寺院・葬祭寺院・・世論
           → 仏教の空洞化

   神道・・・戦後50年を経てなお外傷を背負ってまま
           → 靖国神社・伊勢参拝・神道と皇室の関係
           → 神道と国家の結びつきを疑う世論
           → 神道の非宗教化

日本人の宗教批判
「現世利益信仰」・・・家内安全・身体健康・商売繁盛
          ・・・「日本教」の本質?

無神論に傾く近代日本知識人
現世利益信仰・・家内安全・身体健康・商売繁盛・初詣・彼岸お盆の墓参り(クリスマス?)

マスコミ・知識人
・・・庶民の大衆的な行動を宗教的な問題として真剣に取り上げず

「季節的な庶民の大衆行動」
「信仰の王道からはずれた周縁的な民族信仰」
「第二義的な信仰行動」・・・としてのみ捉える


庶民の不安感
  「家内安全」・・・家族の崩壊の危機感 「身体健康」・・・老病死への民衆の不安
         ・・・・マスコミ・知識人は無視


マスコミ・知識人の議論は「無神論的な信条と論理」によって支えられる
  → 近代ヨーロッパの知的遺産
  → それは日本人の「伝統的な現世利益信仰」を槍玉にあげる
  → 「仏教の空洞化」「神道の非宗教化」にも刃を降り下ろす
                          ・・・・・・「近代日本知識人の無神論化」

「神仏分離」と「政教分離」
日本宗教における権威の失墜・堕落の要因
● 「仏教の空洞化
● 「神道の非宗教化
● 「近代日本知識人の無神論化
        ・・・宗教の世俗化・オウム真理教事件に影を落とす

オウム真理教の宗教反乱・犯罪
単なる反国家的・反社会的逸脱行為としてとらえるだけでは、
日本宗教の危機的状況の深部にメスを入れることにはならない

  「仏教の空洞化」
  「神道の非宗教化」
  「近代日本知識人の無神論化」
        ・・・近代日本の自己認識
           明治以後の日本人の生理心理を支配

近代日本の自己認識の形成の背景・・2つの宗教政策
@ 神仏分離・明治初年
  西洋文明と出会い、その果実を受容するうえで避けて得ない道
     → 神と仏の共存の関係を断ち切る

A 政教分離・第2次大戦後
  政治と宗教の間のあいまいな関係を峻別・明確化
     → 西洋市民社会生活モデルを学習・模倣

「神も仏も」から「神か仏か」へ
神仏分離
神仏共存から二者択一へ・・・日本人の内面に大きな精神的外傷を与える

強制された自己認識のアクロバット
日本人口 一億二千万  宗教人口 二億を越える・・・・仏教・神道・キリスト教・・・
無原則に信仰
     選択的・限定的に考えることをせず

宗教調査
一神教(キリスト・イスラム教等)か、多神教かの質問
キリスト教的な信念の反映による質問

キリスト教の立場
  一神教と多神教の両者に所属することはできない
    → キリスト教的世界観
    → 宗教・信仰は主体的決断によって選び取られる
    → 主体性の自覚に力点(特にプロテスタント)

日本人
  自分と他者(仏もしくは神)・主体 − 客体間の緊張感なし

日本人の宗教感の根底
宗教を自覚的意識や主体的な選択行動と捉えるようなものではなかった
  → むしろそういうものの一切を消却していくことが信仰の究極
  → 特定のセクトに排他的に帰属ことは本質的には非宗教的な態度

明治以降の日本人
キリスト教徒でないにも拘わらずキリスト教徒の目で自分自身の内面に問う
  → 外国人の宗教観のまなざしで日本人の心の奥を観察
  → 自己認識のアクロバット

神道の西欧化、一神教化
神仏分離」・・・近代日本の自己認識の出発点の象徴
敗戦時に発効した「政教分離」と内的関連を持つ

伊藤博文
明治憲法制定のためのヨーロッパ調査において・
  西欧の憲法政治が一千年の歴史を持ち・・・「人心を帰一させる機軸」としての
  「キリス ト教の絶大なる力を知らされる

キリスト教に対抗しうる国家の機軸」・・・「皇室」においてほかはなし
「大日本帝国ハ万世一系の天皇これを統治ス」


仏教・神道ともに国家基盤を支える精神原理としてはすでに時代遅れ
   → 伊藤博文のみならず、明治国家建設の政治家の共通認識
     維新の元勲の慧眼・民主主義政治の本質を見抜く

「万世一系の天皇」
 キリスト教の威力に対抗しうるただ一つの精神原理
   → 伝統的な神道儀礼を再編
   → 天皇家の神話的祖神「天照大神」を近代国家の始祖として拡大解釈
   → 新たな皇室祭祀を形成
   → 「天照大神」を「GOD」に対比 聖なる権威の源泉
   → 伝統神道のキリスト教化・神道の西欧化
   → 神話の最高神の一つから唯一至高神へ

問題点
皇室の万世一系性を国家の機軸にすえ、神道儀礼に結び付ける

・・・政教分離の原理に反するという批判


政府の対策・・・神道において祭祀儀礼と宗教性を分離
          神道の冥界信仰・葬儀・民衆教化を切り離す
          「神まつりの祭祀儀礼」だけを非宗教的機能と強弁
          国家による直接の管理下におく

       ・・・神道における祭祀と宗教の分離
            → 政教一致ではない
            → 政教分離の原則に反せず 
            → 不徹底・中途半端な政教分離

キリスト教に対抗しうる強力な精神原理として天皇を国家機軸にする矛盾
→ 明治国家の近代化政策の持つジレンマ
→ 神道の一神教化
→ 神道そのものの非宗教化

uchimura
近代化に擦り寄った伝統的宗教
近代日本による西欧文明受容の態度
内村鑑三
   日本の大困難
   日本人は「キリスト教」を採用しないで「キリスト教文明」を採用した
   キリスト教抜きの西洋文明の受容に血道をあげる
                     → 明治以降の日本の歩んで来た道

近代の「精神原理」を棚にあげて近代の「制度」「文明」果実だけを盗用
      → 近代日本における知識人の無神論的心情を育くむ

明治の近代化に日本の伝統的宗教はほとんど抵抗せず
むしろ抵抗どころか近代化の路線に擦り寄り、その尻馬にのって自己の延命保身
      → 西洋近代史を彩る「政治と宗教の深刻な対立」・・・日本においてはなし
      → 「経済活動」と「宗教倫理」の間の緊張と対抗の関係見られず
      → 日本の伝統宗教の世俗化
      → 伊藤博文が仏教・神道を新生日本の機軸にしなかった理由

なぜ、立憲政治は、機軸としてキリスト教的神を必要とするか

「国家神道」という疑似宗教
日本の伝統的宗教が徹底的に世俗化していたこと
→ 日本の近代化が短期間に効率のよい発展を遂げる


「宗教」は明治百年の近代化の阻害要因とはならず
明治国家の近代化の傍観者としての地位にとどまる
     → その代償として人工的な疑似宗教・「国家神道」をつくりだす

人工的な疑似宗教
表面上はあくまでも国家の機軸をなす非宗教的な国家祭祀として位置づけられる
    → 諸宗教の機能をこえる超国家的な精神原理として無類の支配力を行使

明治国家に始まる神道の政策的な使い分け 
           (神道における宗教性と非宗教性の使い分け)
神道に対する極度の不信の念
宗教一般に対するぬぐいがたい疑惑の念
       → ひろく日本人に植えつける

敗戦を契機として新たに誕生する政教分離的現在の前史的背景
@ 神道の一神教化による不徹底な政教分離の過程
A キリスト教抜きの西洋文明の受容・宗教原理抜きの近代化の過程

政教分離50年の功罪
「政教分離」
   政治・・・・・・・・公的な性格
   宗教・・・・・・・・私的な領域
   政教分離・・・・公私の区別をつける

   政治・・・・・・・・世俗的な事柄
   宗教・・・・・・・・聖なる世界

戦後日本人は忠実に守る
教科書通りに実現
  (靖国・地鎮祭等の紛争はごく僅か)


イギリスの国王 ・・・「信仰の擁護者」
西欧諸国 ・・・国家が特定の宗教教団に財政援助の例
アメリカ ・・・「聖書」に手を置き宣誓
イスラム ・・・政教一致
日  本 ・・・政教分離を理想的な形で実現

とめどもない人間観の世俗化
政教分離の原則を忠実・教科書通りに守る
→ 宗教に対する軽蔑の念を育成
  宗教・信仰の価値をことさらに貶める

宗教に対する軽蔑の念

明治以降の日本の知識人の内面の無神論的な心情と重なり現代に及ぶ

公の政治と私の宗教の区別に過度の神経質
    → 宗教の重大性への関心が限りなく希薄
    → 人間観の世俗化が行き着くところまでいってしまった

土井社会党委員長
外国新聞・・・土井たか子をクリスチャンと紹介
日本新聞・・・無視(衆議院議長就任の際においても)
        護憲の政治家としてのみ「隠れキリシタン」的あつかい

あなたの宗教派なんですか?」「・・・・(当惑・自嘲)」
    → キリスト教抜きで西洋文明を受容してきた近代日本人心の内景
    → 宗教への無意識の軽蔑

西洋文明的雰囲気へののめりこむような軽信
    → 「隠れキリシタン」的現象

「政教分離」
    「角を矯めて牛を殺す」効果を発揮

「狂気」の本質をえぐりだせるか
1995年・・・・日本宗教の終末元年
阪神大震災・・・・ 宗教家の自己埋葬
オウム真理教・・・自閉的「宗教戦争」

オウム真理教のひきおこした地殻変動の発生源
仏教の空洞化
神道の非宗教化
近代日本人の無神論化
明治の「神仏分離」・昭和の「政教分離」

明治の「変革」以降のはじめての精神の根本的「オーバーホール」の必要性

宗教法人の見直し等・・・対処療法的な応急策で「オウム事件」の本質的解決は無理

日本人の精神の内景を形成してきた「日本近代百年の歴史そのものの見直し」
1995.5.3 Web
2001.9.1 Web
リンク 殺せ!神がと命じる時 (佐倉哲エッセイ集)


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小室直樹 日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、必ず滅亡する
                            平成8年12月23日 潟Nレスト社
             

抜粋・レジュメ

ヨーロッパにおける憲法政治(立憲政治)の基礎には宗教という機軸がある。機軸としての宗教が深く人心に浸潤し、人心が宗教に帰一している。だから、立憲政治はうまくゆく。
日本はどの宗教もその力は微弱であって、どれも立憲政治の機軸として機能しうるものはない。
維新の元勲の一人・伊藤博文の慧眼・民主主義政治の本質を見抜く
明治21年6月、帝国憲法草案審議会(枢密院) 伊藤博文議長
憲法制定の根本精神についての所信披瀝

なぜ、立憲政治は、機軸としてキリスト教的神を必要とするか
 立憲政治  憲法をもって根本規範とする政治
               憲法:主権者と人民の間の統治契約 根本規範

 絶対契約  神と人間の契約 (啓典宗教《ユダヤ教キリスト教イスラム教》に由来)
   啓典宗教 : 法は神の意思によって作られる
   仏   教 : 仏といえども法を作ることはできない 「法前仏後
   儒   教 : 聖人との契約はなし 「述べて作らず、信じて古を好む」(孔子)

絶対契約としての統治契約たる憲法は、啓典宗教以外の宗教の下では成立せず

   ――― の絶対契約が・・・
   ――― の契約に転換されなければならない
            西方キリスト教社会においては資本主義発生期に転換完成

統治契約たる憲法も同じ
  したがって、立憲政治にはその機軸に宗教がなければ機能しえない

第二次大戦後の旧植民地指導者
   このことに気づかず政治のデモクラシー化に失敗・・軍部独裁など・・・
  伊藤博文の眼力:「立憲政治の前提として宗教なからざるべからず
明治21年(1888)憲法草案審議

天皇を立憲政治の機軸とする
我国ニ在テ機軸トスヘキハ、独リ皇室アルノミ
ヨーロッパ文化千年にわたる『機軸』をなして来たキリスト教の精神的代用品
天皇の役割

天皇は現人神:王権神授説(天皇の権力は神が授けた)とも異なる
          カルケドン信条(「キリストは真に神であり、真に人である」)に同じ
ミラノ勅令(313) ローマ キリスト教の承認
ニケア公会議(325) イエスは神
カルケドン公会議(451) キリストは真に神であり、真に人である

天皇観の二重性 ・・・ 熱狂と無関心
  武家政治: 700年 → 民衆には権力における「天皇」の意識なし
                 「天皇」を知らぬ一般民衆が多数派
  尊王思想: 武士以上、一部農商民以上でさかんになる
          幕末:尊王思想は世を覆う

明治維新の奇跡  武士武士階級を廃絶した・・・崎門の学の影響
崎門の学 天皇を予定説を担うキリスト教的絶対神の高みに昇らせた
頼山陽

「われ将門の史を修め、平治・承久の際に至り、未だ嘗て筆を舎て歎ぜずんばあらざるなり」
(朝廷の失政によって実権を失って政権が武士に移ったことを、はなはだ残念である歎ずる)

崎門の学: 尊王思想家、浅見絅斉、栗山潜鋒、吉田松陰に影響を与える

効果の薄かった天皇PR
  「天皇」は東京(江戸)においては不人気
      江戸市民:江戸→東京にも不満  「明治」を“治まるメイ”などと揶揄
      天長節にも国旗掲げず (ドイツ人医師ベルツあきれる)
「やれやれ皆さん聞いてもくんない、天朝御趣意はまやかしものだよ、高天原ではのど口ぬれない、立派じゃけれどもないしょがつまらん」
「阿呆だら経」をつくり天皇を揶揄 (羽仁五郎 「明治維新における革命及び反革命」)
雑誌「新生」昭和46年正月号 井上清著 『天皇制』 東京大学出版会

明治政府は必死になって「天皇」人民にPRすれども効果なし
  人民は天皇の存在について何も知らず
「いわゆる王政復古の当時、一般人民は天皇について殆ど知らなかった・・・まして人民は天子様の恩恵など毛頭知らなかった」
雑誌「新生」昭和46年正月号 井上清著 『天皇制』 東京大学出版会

現人神は唯一絶対神にあらず ・・・ 伊藤博文のジレンマ
  国民への天皇PRのクライマックス  明治天皇の地方巡幸
国民は天皇をとして受け止める
民衆は神の意味を誤解・・・原始神道的な素朴極まりない神としてみる

  維新の元勲
天皇は最高位の最高神であってこそ、キリスト教的神の代用品となりうる


日清戦争の勝利で天皇は
となった
日本の伝統的中国崇拝信条  その中国を破る
豊太閤もなしえなかった偉業  天皇と天皇の軍隊のカリスマは沖天する
なにが王冠を与えるか。戦場の勝利である」 (ヴォルテール)

「ここに至って、国家秩序の中核自体を、同時に精神的機軸とする方向において収拾されることになった」 (丸山真男 『日本の思想』 岩波新書)

その後三国干渉により遼東半島返還・・・国を挙げての臥薪嘗胆
遺恨十年 磨一剣

露西亜の南下 → 朝鮮への侵攻は時間の問題

空前絶後の高度成長
  六六艦隊 陸軍は13個師団を整える
  ロシアとの国力比の例  シベリア鉄道 8314キロ  京城〜釜山  450キロ
  しかし、明治36年の初めの頃には、露西亜と戦うべしという議論が盛んになる
  日清戦争の勝利は、元寇の神風を思い出させる
     合理的に考えれば勝つ見込みのない戦に開戦論
・・・神の子(孫)天皇の治める神国・日本には奇跡が起きる

先方が国富み兵強ければ、此方には大和魂と天佑がある。日本は神国だ。いざという場合になれば、奇跡的の勝利を得て見せよう、という愛国的信仰から発した勇気だった」 (生方敏郎著 『明治大正見聞史』)
nichiro
神国・日本の誕生
  露西亜に併呑される恐怖
ただ空しくてを束ねて併呑されてしまう位ならば、我らは全滅するまでも戦わなければならぬ」 (丸山真男 『日本の思想』 岩波新書)

  伊藤博文 金子堅太郎に・・・(ポーツマス講和会議出席 伊藤内閣農商務相・司法相)
・・・日本中で誰でも、この戦争に勝てるなんて思っている者はいない。満州にいる日本陸軍が全滅し、連合艦隊が全滅して、ロシア軍が上陸しようとしてきたら、妻には兵隊のための飯炊きをやらせ、自分自身は一兵卒になる。勲章も爵位も位階も何もかも全部返上して一兵士となって戦って、ロシア兵に一歩も日本の土を踏ませない覚悟である・・・

  ある退職官吏が子どもたちに
ロシア軍が上陸してきたら、お父さんは必死に戦って、真っ先に戦死する。これは先祖代々伝わる家宝の刀である。おまえたちに一振りずつやるから、これで身の決着をつけろ

.
ところが・・・連戦連勝!露西亜に勝つ
・・・日本海軍を勝利に導いた連合艦隊作戦主任参謀・秋山真之中佐
奇跡の連続に感激し、いや空恐ろしくなって「発狂」したと言われる。のちに仏門に入って宗教家になった。

・・・なんで、こうも、うまくいったのか。
日本は神国だから神風が吹いたのだ。元寇のときに吹いた神風が、もう一度(一度目は、日清戦争の勝利)、思い出された。・・・

日本は神国
   
日本は神国だから、神は奇跡によって、日本を助ける」という形で再々確認される
   
天皇の陸海軍の奇跡  天皇が現人神である証(皇祖・天照大神の嫡孫)

一部尊皇家だけのものであった尊皇思想は全国民にゆきわたる

   天皇は深く人心に浸潤・・・原始キリスト教における「ひたすらの帰依」を連想

   日露戦争の奇跡 → 天皇経のもとに国民を再統一

有色人種の熱狂・・・アジア・アフリカの志士の独立の決意を導く
  (しかし、その後数年で幻滅にかわる)

新規範を創造した教育勅語
  教育勅語:新規範を創造
  教育勅語:天皇がキリスト教的神となったことを立証  のちに軍人勅諭を創造

教育勅語は儒教の二重規範を否定した
  の二重規範  (科挙と一般人民 統治者と被統治者・・・別の規範)
  教育勅語「・・・爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ・・・」 臣も民も同じ規範

“天皇教”とキリスト教の共通点
  主神天照大神は日本を天孫・瓊瓊杵尊に与え、皇統が永遠に続くことを宣言
無条件・・・キリスト教の神と同じく日本における神も予定説を採る

天皇絶対説の復活

かくて天皇は神になった
  第二次大戦の敗戦があっても、日本人と天皇の「絶対契約」は捨てず
  しかし、占領軍の統治による「人間宣言」によって神たる天皇と日本国民の絆は断絶

  戦後日本の急性アノミー・・・絶対神・天皇の人間宣言!!
  
  「イエス・キリストは人間だった」・・・キリスト者には考えられず

  そののち「日本軍は犯罪者集団である」の宣伝・教育・・・・
     急性アノミーにより、現在日本人全体が犯罪者集団に成り果てつつある・・・

わが国のこれまでの『伝統的』宗教がその内面的『機軸』として作用する意味の伝統を形成していない (丸山真男『日本の思想』岩波新書) 
急性アノミーの結果 日本人の精神の混沌状態・・・この頁トップに戻る
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秩父事件と山県有朋 《明治の自由民権運動 大正5年の町会会則

松本清張 『象徴の設計』 文春文庫


松本清張
 『象徴の設計』 文春文庫
解説・綱淵謙錠
西南戦争が終結した後も、日本の動揺は続いていた。そんな時、今度はなんと近衛兵が叛乱騒動を起こした。竹橋事件である。

事態を重く見た時の陸軍卿山県有朋は、軍のより一層の近代化を進めるため、軍人の軍人たる心構え、すなわち「軍人勅諭」を創るよう西周に命じた。明治初期、近代国家への変身を描く。

(本文より)
 
有朋は、来る二十三年に国会が開設された場合、代議士が過激な議決を行なって政府の政策を左右するのを惧れた。彼は、国会に先んじて地方自地制度を国家の直接統治機関に置き、国会といえどもこれを自由にできないようにしようと考えた。・・・・          
こうして有朋は国会開設前に大急ぎで地方自地制度を制定したが、これをもって地方制度を「自治権」として認めず、むしろ自治に対する政府の制限を加え、これを中央統制化する方向に導こうとした
その上、この制度によって国家観念を植えつけ、徴兵制度強化の一手段に考えた。
また、選挙権については町村制では二級選挙法を、市制では三級選挙法を施いて、納税額により選挙権を国民に与える仕組みにした。つまり、金持ちだけに選挙について大きな権限を与える狙いだ。
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つまり、地方議会を大地主的な層で固め、民権運動にいささかも惑わされない地方支配階級を構成し、天皇制絶対主義の基礎にした。これはたとえ中央政局が変動しても、その余波を地方行政に波及させない防波堤としたのである
こうして彼は国会が将来権力を脅かすような挙に出ても地方自治体だけはこれから全く切り離す戦略を構築していたのであった

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明治11年 竹橋騒動 竹橋騒動(事件)関連検索
明治15年1月 軍人勅諭 軍人勅諭 山県有朋関連検索
明治15年 福島事件 福島事件関連検索
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国民道徳協会訳文による教育勅語の口語文訳   国民教育憲章
(松戸神社HPよりお借りしました)


勅  語

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世ソノ美ヲ済セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己ヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ知能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進ンデ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ンジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ報ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテモトラス朕爾臣民ト倶ニ拳拳服鷹シテ皆ソノ徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

明治二十三年十月三十日
御名御璽


教育勅語の口語文訳

私は私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現を目指して、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげてまいりましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 
国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。

そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私たちの祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私たち子孫の守らかければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
(国民道徳協会訳文による)


国民教育憲章(韓国)


国民教育憲章

我々は民族中興の歴史的使命を帯び、この地に生まれた。
祖先の輝く精神を今日に蘇らせ、内においては自主独立の姿勢を確立し、外においては人類共栄に貢献するを目指すものである。
故に、我々の進む道を明らかにし、教育の指標とするのである。

誠実な心と丈夫な体で、学問と技術を学び、習い、もって生まれた素質を啓発して、我々の躍進の足掛りとして創造力と開拓精神を養う。

公益と秩序を先立たせ、能率と実質を崇敬して、敬愛と信義に根付いた相扶相助の伝統を引き継ぎ、明朗な、温かい共同精神を培う。

我々の創意と協力を基にして国家が発展し、国の隆盛が自分の発展の根本であることを理解し、自由と権利に従い、責任の義務をつくし、自ら国家建設に参与し奉仕する国民精神をより高める。

反共民主精神に透徹する愛国愛族が我々の生きる道であり、自由世界の理想を実現する基盤である。永く後孫に伝える栄光ある統一祖国の明日を眺め、信念と誇りをもつ勤勉な国民として、民族の知恵を結集して、弛みない努力で新しい歴史を創造しよう。


1968.12.5 宣布
韓国 朴正熙大統領
(1963年就任)

日本語訳編集 松戸神社

軍人勅諭
(陸海軍人に下し賜はりたる勅諭)


 
我か国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある

 昔神武天皇躬(み)つから大伴物部の兵(つはもの)ともを率ゐ中国(なかつくに)のまつろはぬものともを討ち平け高御座(たかみくら)に即(つ)かせられて天下(あめのした)しろしめし給ひしより二千五百有余年を経ぬ
 此間世の様の移り換るに随ひて兵制の沿革も亦(また)屡(しばしば)なりき

 古(いにしへ)は天皇躬(み)つから軍隊を率ゐ給ふ御制(おんおきて)にて時ありては皇后皇太子の代はらせ給ふこともありつれと大凡(おほよそ)兵権を臣下に委ね給ふことはなかりき

 中世(なかつよ)に至りて文武の制度皆唐国風(からくにぶり)に傚(なら)はせ給ひ六衛府(えふ)を置き左右馬寮(さうめりゃう)を建て防人なと設けられしかは兵制は整ひたれとも打続ける昌平に狃(な)れて朝廷の政務も漸く文弱に流れけれは兵農おのつから二に分れ古の徴兵はいつとなく壮兵の姿に変り遂に武士となり兵馬の権は一向(ひたすら)に其武士ともの棟梁たる者に帰し世の乱と共に政治の大権も亦其手に落ち凡(およそ)七百年の間武家の政治とはなりぬ

 世の様の移り換りて斯(かく)なれるは人力(ひとのちから)もて挽回(ひきかへ)すへきにあらすとはいひなから且は我国体に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間(あさま)しき次第なりき降(くだ)りて弘化嘉永の頃より徳川の幕府其政(まつりごと)衰へ剰(あまつさへ)外国(ぐわいこく)の事とも起りて其侮(あなどり)をも受けぬへき勢(いきほひ)に迫りけれは朕か皇祖(おほぢのみこと)仁孝天皇皇考(ちちのみこと)孝明天皇いたく宸襟(しんきん)を悩し給ひしこそ忝(かたじけな)くも又惶(かしこ)けれ

 然るに朕幼くして天津日嗣(あまつひつぎ)を受けし初(はじめ)征夷大将軍其政権を返上し大名小名其版籍を奉還し年を経すして海内一統の世となり古の制度に復(ふく)しぬ是文武の忠臣良弼(りゃうひつ)ありて朕を輔翼(ほよく)せる功績(いさを)なり
 歴世祖宗の専(もはら)蒼生(さうせい)を憐み給ひし御遺沢(ごゆゐたく)なりといへとも併(しかしながら)我臣民の其心に順逆の理を弁(わきま)へ大義の重きを知れるか故にこそあれ

 されは此時に於て兵制を更(あらた)め我国の光を耀(かがやか)さんと思ひ此の十五年か程に陸海軍の制をは今の様に建定(たてさだ)めぬ夫(それ)兵馬の大権は朕か統(す)ふる所なれは其司々(つかさつかさ)をこそ臣下には任すなれ其大綱は朕親(みづから)之を攬(と)り肯(あへ)て臣下に委(ゆだ)ぬへきものにあらす子々孫々に至るまて篤く斯(この)旨を伝へ天子は文武の大権を掌握するの義を存して再(ふたたび)中世以降の如き失体(しったい)なからんことを望むなり

 朕は汝等軍人の大元帥なるそされは朕は汝等を股肱(ここう)と頼み汝等は朕を頭首と仰(あふぎ)きてそ其親(したしみ)は特(こと)に深かるへき朕か国家を保護して上天の恵に応し祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を尽すと尽ささるとに由るそかし
 我国の稜威(みゐつ)振(ふる)はさることあらは汝等能く朕と其憂(うれひ)を共にせよ我武(ぶ)維(これ)揚(あが)りて其栄(えい)を耀(かがやか)さは朕汝等と其誉(ほまれ)を偕(とも)にすへし汝等皆其職を守り朕と一心になりて力を国家の保護に尽さは我国の蒼生は永く太平の福(さいはひ)を受け我国の威烈(ゐれつ)は大(おほい)に世界の光華(くわうくわ)ともなりぬへし

 朕斯(かく)も深く汝等軍人に望むなれは猶(なほ)訓諭(をしへさと)すへき事こそあれいてや之を左(さ)に述へむ
 
 
 一 軍人は忠節を尽すを本分とすへし
 凡(およそ)生を我国に禀(う)くるもの誰かは国に報ゆるの心なかるへき況(ま)して軍人たらん者は此心の固からては物の用に立ち得へしとも思はれす軍人にして報国の心堅固ならさるは如何程(いかほど)技芸に熟し学術に長するも猶(なほ)偶人にひとしかるへし其隊伍も整ひ節制も正しくとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合(うがふ)の衆に同かるへし

 抑(そもそも)国家を保護し国権を維持するは兵力に在れは兵力の消長は是(これ)国運の盛衰なることを弁(わきま)へ世論に惑はす政治に拘(かかは)らす只々一途に己か本分の忠節を守り義は山岳よりも重く死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覚悟せよ其(その)操(みさを)を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ
   
 一 軍人は礼儀を正くすへし
 凡(およそ)軍人には上(かみ)元帥より下(しも)一卒に至るまで其間に官職の階級ありて統属(とうぞく)するのみならす同列同級とても停年に新旧あれは新任の者は旧任のものに服従すへきものそ下級のものは上官の命を承ること実は直(ただち)に朕か命を承る義なりと心得よ己か隷属する所にあらすとも上級の者は勿論停年の己より旧きものに対しては総(す)へて敬礼を尽すへし
 又上級の者は下級のものに向ひ聊(いささか)も軽侮驕慢(けいぶけうがう)の振舞あるへからす公務の為に威厳を主とする時は格別なれとも其外は務めて懇(ねんごろ)に取扱ひ慈愛を専一と心掛け上下(しゃうか)一致して王事に勤労せよ
 若(もし)軍人たるものにして礼儀を紊(みだ)り上を敬はす下を恵ますして一致の和諧(くわかい)を失ひたらんには啻(たゞ)に軍隊の蠧毒(とどく)たるのみかは国家の為にもゆるし難き罪人なるへし
   
 一 軍人は武勇を尚(たふと)ふへし
 夫(その)武勇は我国にては古よりいとも貴へる所なれは我国の臣民たらんもの武勇なくては叶ふまし況(ま)して軍人は戦に臨み敵に当るの職なれは片時も武勇を忘れてよかるへきかさはあれ武勇には大勇あり小勇ありて同からす血気にはやり粗暴の振舞なとせんは武勇とは謂ひ難し
 軍人たらむものは常に能く義理を弁(わきま)へ能く胆力を練り思慮を殫(つく)して事を謀るへし小敵たりとも侮らす大敵たりとも懼(おそ)れす己が武職を尽さむこそ誠の大勇にはあらされは武勇を尚ふものは常々人に接(まじは)るには温和を第一とし諸人の愛敬(あいけい)を得むと心掛けよ
 由(よし)なき勇を好みて猛威を振ひたらは果(はて)は世人も忌嫌(いみきら)ひて犲狼(さいらう)の如く思ひなむ心すへきことにこそ
   
 一 軍人は信義を重んすへし
 凡(およそ)信義を守ること常の道にはあれとわきて軍人は信義なくては一日も隊伍の中に交りてあらんこと難かるへし信とは己か言を践行(ふみおこな)ひ義とは己か分を尽すをいふなりされは信義を尽さむと思はは始より其事の成し得へきか得へからさるかを審(つまびらか)に思考すへし朧気(おぼろげ)なる事を仮初(かりそめ)に諾(うべな)ひてよしなき関係を結ひ後に至りて信義を立てんとすれは進退谷(きはま)りて身の措き所に苦むことあり悔ゆとも其詮なし
 始に能々(よくよく)事の順逆を弁へ理非を考へ其言は所詮践(ふ)むへからすと知り其義はとても守るへからすと悟りなは速(すみやか)に止るこそよけれ古より或は小節(せうせつ)の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守りあたら英雄豪傑ともか禍(わざはひ)に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まで遺せること其例(そのためし)尠(すくな)からぬものを深く警(いまし)めてやはあるへき
   
 一 軍人は質素を旨とすへし
 凡(およそ)質素を旨とせされは文弱に流れ軽薄に趨(はし)り驕奢華靡(けふしゃくわび)の風(ふう)を好み遂には貪汚(たんを)に陥りて志も無下に賤(いやし)くなり節操も武勇も其甲斐なく世人(よのひと)に爪(つま)はしきせらるゝ迄に至りぬへし
 其身生涯の不幸なりといふも中々愚(おろか)なり此風一たひ軍人の間に起りては彼の伝染病の如く蔓延し士風も兵気も頓(とみ)に衰へぬへきこと明なり
 朕深く之を懼れて曩(さき)に免黜(めんちゅつ)条例を施行し略(ほぼ)此事を誡(いまし)め置きつれと猶(なほ)も其悪習(あくしふ)の出んことを憂ひて心安からねは故に又之を訓(をし)ふるそかし汝等軍人ゆめ此訓戒(をしへ)を等間(なをざり)にな思ひそ
   
 右の五ヶ条は軍人たらんもの暫(しばらく)も忽(ゆるがせ)にすへからすさて之を行はんには一の誠心(まごころ)こそ大切なれ
 抑(そもそも)此(この)五ヶ条は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ条の精神なり心誠ならされは如何なる嘉言(かげん)も善行も皆うはへの装飾にて何の用にかは立つへき心たに誠あれは何事も成るものそかし況(ま)してや此五ヶ条は天地の公道人倫の常経なり行ひ易く守り易し
 汝等軍人能く朕か訓に遵(したが)ひて此道を守り行ひ国に報ゆるの務を尽さは日本国の蒼生挙(こぞ)りて之を悦(よろこ)ひなん朕一人の懌(よろこび)のみならんや